東京大田区・弁当屋のすごい経営

日替わり弁当のみで年商70億円 スタンフォード大学MBAの教材に
未読
東京大田区・弁当屋のすごい経営
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日替わり弁当のみで年商70億円 スタンフォード大学MBAの教材に
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東京大田区・弁当屋のすごい経営
出版社
出版日
2018年12月01日
評点
総合
3.8
明瞭性
3.5
革新性
4.0
応用性
4.0
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おすすめポイント

たった600人のスタッフが昼12時までに約7万食をつくり、配達する弁当屋「玉子屋」。1食450円の日替わり弁当のみで年商70億円を稼ぎ出す秘訣は何だろうか? コンビニに卸さず、店頭販売もせず、自社の配達用ワンボックス185台で、一日約7万食を配達している。創業時の1970年代は1日約50食だったというから、「すごい経営」の成果はめざましい。数の予測が難しい弁当で、廃棄率0.1%という驚異的な低さも目をひく。一体どんな魔法を使えばこのようなことが可能になるのだろうか。しかも、配達先は関東のごく一部であるにもかかわらず、その数約1万カ所である。顧客の開拓や維持も簡単ではない上に、配達する物流にも工夫が必要だ。

著者である菅原社長は「玉子屋」の2代目だ。会長から会社を受け継いだころは、1日2万食だった。その後7万食まで伸ばすのだが、その道は平坦ではなかった。悪いことが起きたときにこそ深く考えて行動し、新しい工夫をすることで成功してきている。そこには、人材活用を中心に、著者の経営に対する信念が見え隠れしている。

本書は著者の視点から、玉子屋の「すごい経営」の考え方やノウハウを紹介した本である。多くの中小企業の経営者はもちろんのこと、仕事で悩みを持つ方にとっても、学ぶべき点が多いだろう。是非お読みいただきたい。

ライター画像
加藤智康

著者

菅原 勇一郎(すがはら ゆういちろう)
立教大学経済学部経営学科(体育会野球部所属)を卒業後、株式会社富士銀行(現 株式会社みずほ銀行)入行。1995年、流通マーケティング会社を経て、1997年、株式会社玉子屋に常務取締役として入社、2004年に同代表取締役社長に就任。
テレビ東京「カンブリア宮殿」等メディアに多数取り上げられ、独自の経営手法、人材マネジメントは米国スタンフォード大学の大学院教授が視察に訪れるなど着目されるようになる。2015年から世界経済フォーラム(通称ダボス会議)のフォーラム・メンバーズに選出されている。

本書の要点

  • 要点
    1
    心に決めた後継者がいれば、1日でも早く引き継ぎをしたほうがいい。さまざまな面でフォローができ、新しい体制への移行がスムーズに運ぶからだ。玉子屋は、会長が57歳のとき、まだまだ元気で業績を伸ばしているタイミングで事業承継した。
  • 要点
    2
    玉子屋のすごさは数字に表れている。正午までにつくり届ける弁当の数は約7万食、原価率は53%、廃棄率は0.1%だ。
  • 要点
    3
    玉子屋の成長を支えるのは人だ。世間で一般的に言う優秀な人材を求めるのではなく、その人材の可能性を引き出している。

要約

玉子屋の事業承継

早期に事業承継した理由

中小企業が継続的に成長していくためには、事業承継を乗り越えなければならない。その際、最初から子どもに事業承継しようと決めつけず、あらゆる可能性を検討することが大切だという。身内でも、長子、長男にこだわることはない。

もし「こいつに継がせたい」と心に決めた後継者がいれば、1日でも早く引き継ぎをしたほうがいい。トップが元気なうちに事業承継すれば、さまざまな面でフォローでき、新しい体制への移行がスムーズに運ぶ。社内の不平不満を抑えられるし、二代目を鍛えることもできる。得意先や取引先との生きた人脈も、しっかりと引き継げるだろう。

玉子屋は、会長が57歳のとき、まだまだ元気で業績を伸ばしているタイミングで事業承継した。会長は、著者の入社が決まった時点で「今度から息子に一任する」と公言していたという。

父親の作戦勝ち
ronniechua/gettyimages

子どもの頃の著者は、リトルリーグで「弁当屋の息子」と呼ばれ、家業を恥じていた。そもそもリトルリーグは後継者教育の一環で、チームプレーを学ぶために強制的に入部させられたものだった。

その後、中学、高校、大学と、プロを目指して野球を続けた。だがあるとき、プロの練習を間近で見る機会があった。プロとのレベルの差を思い知らされた著者は、野球をすっぱりあきらめて銀行に就職する。

銀行に4年勤めた後、小さなマーケティング会社に転職した。マーケティング会社で働き出すと、玉子屋から社員3人分の弁当が配達されるようになった。玉子屋の弁当を食べたのは、そのときが初めてだったという。「この値段でこのクオリティはなかなか出せない、親父やるな」――ここでやっと、玉子屋の凄さを理解した。

同時に、配達する人の対応によって弁当の価値も変わってしまうなど、お客様の立場に立ったからこそ課題も見えてきた。自分が中に入ればもっといい会社にできるという思いが芽生え、徐々に気持ちは玉子屋へと向かっていった。継げと一言も言わない会長の二代目教育と作戦が功を奏したのだった。

「今日で社長は死んだと思ってください」
YurolaitsAlbert/gettyimages

著者が常務として玉子屋に入社したのは1997年、27歳のときだ。玉子屋の全体会議で入社挨拶をするとともに、「今日をもって社長は死んだと思ってください」と宣言したという。入社5年目の2002年には副社長に、2004年には社長になったが、実質的には入社したタイミングから経営を任されていた。

著者が入社したころ、社長と主力の幹部社員は全員50代後半から60代。トップの血縁だからといって、20代の常務に従うはずもなかった。

幹部社員と良好な関係が築けるかどうかは、事業承継の成否にかかわる重要な問題である。割り切れない気持ちのままでは、業務に支障をきたしかねない。そう考えた著者は、一人一人と個別に飲んで話をすることにした。

社員全員と話し終えた頃には、1ヶ月が経っていた。従業員との交流を通して知ったのは、会長の存在感の大きさだ。皆がいかに会長を慕っているのかを理解できた。

幹部社員には、温故知新の方針を説明した。会長がやってきたことで、よいと思うことは引き続きやる。だが同時に、時代にあわせた新しい試みも始める。頭ごなしに反対せず、とりあえずついてきて欲しいと伝えた。

玉子屋のすごい数字

1日最大7万食

玉子屋は、1日に最大で約7万食を製造、提供している。東京ドームの収容人数が約4万6000人だから、超満員の東京ドームのお客様に配っても食べ切れないくらいの数だ。

注文は契約している約5000社の事業所から入り、配達ポイントは1万ヶ所ほど。毎日朝9時から10時半までの1時間半で注文を受け、昼の12時までに配達することとしている。

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要約公開日 2019.04.14
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