思考とは、情報と知識を加工することである。少し説明すると、対象から得られる情報と、自分の知識を照らし合わせたり繋げ合わせたりすることで、なんらかの結論を導くプロセスが「思考」である。
思考の成果として「事象の識別」と「事象間の関係性の把握」が得られる。事象の識別とは、「これは菜の花だ」「この症状は風邪の症状だ」というふうに、「それが何か」が分かることだ。事象間の関係性の把握とは、たとえば、「薄着で出かけた」ことが「今日風邪をひいている」ことと原因・結果の関係にあるというような分かり方である。複雑な思考作業は、これら二つを組み合わせたり積み上げたりすることによって行われる。
「事象の識別」が積み重なれば、情報を分類・体系化し、具体的な事物から抽象的な性質を見つけ出すことができる。たとえばさまざまな海の生物を、魚、頭足類、二枚貝……というふうに意味づけして分類するようなことだ。
「事象間の関係性」は「独立」「相関」「因果」の3つのうちどれかに分類される。「相関」の特殊形態である「因果」を見いだすことには、大きな価値がある。因果関係を解明することで、結果をコントロールできるからだ。また、原因と結果の前後関係を理解することは、思考に時間軸が加わることでもある。これにより、時間軸に基づいて過去・現在・未来の全ての事象を思考するということが可能になるのである。
このようにして、人は森羅万象を分かるための思考の方法と領域を有しているのである。
論理とは2つ以上の命題を「したがって」(原因と結果)、または「なぜなら」(理由づけ)でつなぐ構造である。そして、「論理的である」と認められるには、その論理が受け手の理解の範疇で客観的妥当性を有していなければならない。例えば、「E=mc2、したがって、時間は可変である」という論理は正しいが、客観的妥当性を満たすには、それを提示される人々が理解できるようにその論理を展開しなければならないのだ。
ここまででいったん、「論理的思考」とは何かを導き出すことができる。「論理的思考」とは、情報と知識を組み合わせて、客観的妥当性を有する思考によって、2つ以上の命題が「したがって」もしくは「なぜなら」でつながれる構造を作り出すこと、である。
正しい論理展開を行うための方法論としてよく用いられるのが、演繹法と帰納法である。演繹法は、ある命題と前提とを照らし合わせて、意味的包含関係を判断することで結論を導く。そのため、論理が客観的妥当を帯びるには、前提が普遍的に正しいことが必須条件だ。例えば「年長者は敬うべきである」といった道徳や社会的通念などは、十分な普遍性を有しているとは言い難いことも多いため、演繹法における前提条件として適切でないと考えられる。
一方、帰納法は、複数の観察事象から共通事項を抽出し、それを一般命題化して結論とする。結論は、その正しさの度合いの強弱によって判断され、絶対性はないという欠点がある。
ただし、演繹法や帰納法を使って正しい論理展開を行なったとしても、必ずしも客観的に正しい結論が得られるわけでは
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