「船橋屋」は、東京・下町の老舗和菓子屋だ。1805年に創業し、亀戸天神の境内で「くず餅」をつくってきた。ちなみにこの「くず餅」は、関西に多い「葛餅」とは製法が異なる。
下町の老舗和菓子屋船橋屋を激変させたのが、8代目当主である著者の「Being経営」である。
Being経営の土台となっているのは、「Being life」と表現される状態――現状を「これでいいのだ」と自然に受け入れる境地――である。著者は船橋屋の経営を通じて、未来や過去でなく「今」に心を置き、足をつけている「ここ」を再確認して「自分」に向き合うことで、進むべき道を探り当ててきた。ただ、「Being life」の考え方にも通じる、この「今、ここ、自分」という言葉にたどり着くのは、簡単ではなかった。
著者は大学卒業後、三和銀行(現・三菱UFJ銀行)に7年間勤務した後、1993年に船橋屋に専務取締役という立場で入社した。
銀行の堅い職場環境から一転して、パンチパーマやリーゼントの社員が働く環境に飛び込み、著者はたいへんなカルチャーショックを受けた。そして、理想とする会社をつくれるのか、後継者として結果を出さなくては、と不安や焦りにとりつかれてしまった。そのため、ときにトップダウンで強引なやり方を選び、社内で一人孤立するようになっていった。
そうなってしまったのは、「理想の経営者像」に縛られすぎていたせいだった。著者は、銀行員時代に立派な経営者たちを何人も見てきた。彼らは、バブル崩壊の厳しい時代でも、強いリーダーシップを発揮して利益を叩き出し、会社を成長させていた。そんな理想の経営者像を追いかけつつも、そのとおりに物事が進まないという激しいギャップが、焦りや苦しみを生んでいたのだ。
社長なのだから、自分がみんなを引っ張るべき。社員とはこうあるべきなのに、みんながわかってくれない。そうした、たくさんの「こうあるべき」「こうすべき」という考えにとらわれ、追い詰められていたのである。
「べき」という思い込みから解き放たれるため、そして新しい経営のやり方を見つけ出すため、著者は何度も自問自答を繰り返すことになった。
答えは、そもそもの根幹のところ、船橋屋は何なのかというところにあった。船橋屋は誰のために存在しているのか、という問いに対する、売り手・買い手・世間の「三方良し」を目指すという答え。そして、船橋屋はなぜ存在しているのか、という問いに対する、「くず餅という唯一無二の食文化を守り発展させることで、私たちに関わるすべての人を幸せにする」という答え。この2つが明確になったことで、進むべき道ややるべきことが見えてきた。
次に向き合ったのが、「くず餅とは何か」という命題だ。「くず餅」は小麦粉からグルテンを取り除いたでんぷんを、450日間発酵させてつくる。消費期限は短く、たった2日だ。
保存料等を使うという選択もせずに、自然のままの製法を守り続けてきたのは、
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