原発の問題を扱うのは難しい。2011年3月11日(いわゆる3.11)に起きた福島第一原発事故以降、多くの人々が原発に関心を持ち、それぞれの立場で意見を表明している。しかし日本にある原発をただちにすべて停止しても、100パーセントの安全が確保されるわけではない。したがって推進・反対に関係なく、原発を安全かつ適切にマネジメントしていく必要がある。それは技術的問題にとどまらず、政治や経済と絡んだ利害関係や価値判断などを含め、さまざまな課題に対応しなければならないということだ。
ところが現実には議論の対立が目立ち、技術面に着目した安全対策ばかりが話し合われている。「原発の抱える中核課題が何か」を、政府を含めて誰も的確に定義し、国民に提示していないのが現状である。
多くの人は、原発が複雑なシステムであることを理解している。しかしそれはエンジニア任せになりがちな、「エンジニアリング・システム」という範囲内での理解だろう。原発の社会的影響を考えれば、その枠を超えて、組織・制度・経営・政治・環境・歴史・文化などの要素からなる「社会システム」と捉えるべきである。
社会システムは、時間とともに変化していくダイナミック・システムだ。有機体のように過去の影響を受けながら、予測のつかない変化をする。これに対しエンジニアリング・システムは、基本的にスタティック・システムで、故障しないかぎり同じことを繰り返す。
たとえるならばエンジニアリング・システムがハードウェア思考であるのに対し、社会システムはソフトウェア思考だ。エンジニアリング・システムから社会システムへの転換は、縦割りの局所最適化から抜け出して、相互連鎖を効果的に捉えるための発想でもある。
原発を社会システムとして捉え、人知で扱えるサイズに切り出して「デザイン」しなければ、多くの人々が納得するような現実的解決に向けて前進することは不可能であろう。
ここでいう「デザイン」とは、雑多でバラバラだが互いに関連する要素を、期待した機能を発揮するように「統合」する作業を指す。そこにはロジカルな要素と、文化的伝統や風土、願望・意思といったロジカルでない要素の両方が含まれる。
統合のためには各要素を分析することが不可欠だ。とはいえ分析を通じて見つけた「問題の裏返し」(すぐに思いつくような対策)は、優れたデザインとはいえない。そこでは「発想力」という優れた仮説設定能力が求められる。
デザインは、分析のようにシステマティックな訓練ができるスキルではない。実際に手を動かしつつ、何度も仮説を設定して検証することの繰り返しでしか身につけられない。しかもデザインは芸術とは違い、期限内に解を出すことが要求される。そのため作業ステップを定め、その位置づけと達成すべき目標を明確にしておくことが重要である。
社会システム・デザインの作業は、「社会的現象のほとんどはダイナミック・システムであること」、「その時間軸による展開は循環的であること」、そして「循環しながら段々と悪くなるか、良くなるかのどちらかしかないこと」という経験則で得られた前提のもと、次の5つのステップを踏んで行う。
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