いつの世も人は、自分の目の前にあるものが当たり前だと思っている。だが私たちが「常識」と思っているものの多くは、かつては危険で馬鹿げた過激思想として、まともに相手にされていなかった。
たとえば1867年の英国で、選挙権の主体を示す単語を「men(男)」から「person(人)」に改正しようと提案したジョン・スチュアート・ミルという下院議員は、「イングランド人の男らしさが脅かされる」と、怒りと嘲笑の猛反撃にあった。現在の私たちの生活を形づくっているのも、ミルの時代と同じような思い込みなのだ。
特定の時代において、大多数の人が「常識」として受容する考えの範囲を、「オヴァートンの窓」と呼ぶことがある。この「窓」からはみ出したものは、あまりに非現実的だとして国民には受け入れられない。過激すぎるからだ。
本書の執筆を始めた2014年後半、「窓」が広がりそうな徴候があった。選挙に行く人が減り、わざわざ行く人も中道左派や中道右派ではなく、極端な方向に流れるようになった。そして英国のこのような変化の兆しは、英国のEU離脱やドナルド・トランプの当選など、2016年までに大きく世界を揺るがすものになった。今後数年のうちに「窓」は劇的に変わり、何が「普通」なのかという感覚は、大々的な変化を迫られるだろう。
私たちが心地よく浸りきってきた政治的構造に、とてつもなく大きな3つの課題が襲いかかろうとしている。
1つめはテクノロジーだ。人工知能が、あらゆる仕事をこなせるようになりつつある。今後10年のうちに、AIによる革命の影響を受けずにすむ産業はなくなるだろう。
2つめに気候変動がある。今世紀末までには、地球上のかなりの部分は人が住めない土地になると予測されている。国連によると2050年までに2億5000万人が、気候変動によって難民となる可能性があるという。
そして3つめが、人々の姿勢である。民主主義とそれに関連する制度への信頼が、内側から崩壊しつつある。即座に満足を得ることが当たり前なデジタル世代にとって、時間がかかるうえに妥協だらけの代表民主制というシステムは、時代錯誤に感じられる。テクノロジーと地球環境の問題が深刻さを増すにつれ、ますます現行の仕組みでは問題を解決できないと人々は感じるようになるだろう。
本書の主人公である「過激派」という語は、根本的な社会的(または政治的)改革を主張する人たちを指すときに用いられる。あなたが「過激な人たち」に賛同するか否かにかかわらず、彼らの思想は社会を変える力を持っている。私たちは彼らによって考えさせられ、政治的想像力が刺激される。現在のこの社会の形は、絶対的なものでも永久的なものもないのだと。
西洋文明における幻覚剤の歴史は、思いのほか新しい。LSDもサイロシビンも、西洋の科学者によって最初に「発見」されたのは1940〜50年代のことだ。精神科医をはじめ多くの学者が幻覚剤を検証すると、アルコール依存症や不安神経症の患者に対して信じがたい効果が確認できた。この「魔法のドラッグ」の扱いについては賛否が分かれたが、当時のカウンターカルチャーにおいては熱烈に歓迎され、ビートルズもボブ・ディランもジャック・ケルアックも、ドラッグについて書いたり歌ったりした。
しかし保守的な米国人はこれを気に入らなかった。
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