本書が目的とするのは、一般的な日本のビール好きが持つビールの常識を、一気に世界でビール通と思われる人が持つべきレベルまで引き上げることだ。
まずはビールの歴史をたどってみよう。歴史をさかのぼる上でビールの本質を定義すれば、それは「麦芽を主原料とする発泡性の醸造酒」となるであろう。史上最古のビールは、麦などの農耕の始まった8500年前から、楔形文字で「ビール造り」の記録が残された5500年前の間に造られたと考えられる。
当時のビールの味はどんなものだっただろう。現代のような圧力容器や冷蔵装置がなかったので、発泡性は乏しかったはずだ。徹底的な糖化(でんぷんのような高分子を、酵母が消化可能な大きさに変換する工程)は困難なため、甘味が残っていたと想像できる。古代エジプトでは、そこへさまざまなハーブを添加していたようだ。
古代エジプトでは、ビールは嗜好品というより、重要な食料の1つだったと考えられていたようで、労働者の報酬や、貨幣の代わりとして使われたという記録も残っている。
ヨーロッパにおいては、いつごろなのかはっきりしたことは不明だが、早くからゲルマン民族がビールを造っていた。ヨーロッパの初期のビールは、大陸の「ビアー」と、英国の「エール」として、別々の発展の道を歩んだ。
「ホップ」がビールに使われだしたのは、8世紀頃のドイツが最初といわれている。ホップは抗菌作用に優れていたため、アルコール度数が低くて腐敗しやすかったビール醸造を大いに促進することになった。一方で、ホップは大量に使うと苦みが増えてしまうので、味を調えるための様々な工夫があったことが推察される。
ただ、英国では、役人の利権が絡んでおり、ホップは17世紀まで使用が認められなかった。
ビールを大別すると、「エール」と「ラガー」に分かれる。この違いは酵母によるものだ。現在の世界的なビール市場で主流となっているのはラガーであるが、ラガーはエールよりも歴史が浅い。ラガー・ビールの製法は、15世紀後半にドイツのバイエルン地方で偶然に発見された。
今ではミュンヘンを中心とするバイエルン地方は「ビールの都」と呼ばれているが、当時はドイツ北部のアインベックなどの都市と比べてビールの品質が悪いと言われていた。しかし、16世紀の終わりに、いわば王室肝入りプロジェクトとして、バイエルン公国は立派な醸造所を作り、アインベックの醸造家を招いた。そうして、アインベックが本場とされていたボック・ビールのスタイルを引き継ぎ、バイエルンでも美味しいボック・ビールが造られるようになった。
さて、このバイエルン地方で生まれたボック・ビールは、現在では「ラガー・ビール」として定着しているが、実はアインベックで造られていた当初は「エール・ビール」であった。当時は酵母が微生物であるという認識すらなかったので、意図的にではなくおそらく自然の成り行きで、ラガー酵母が使われたものと思われる。そうして、アインベックの麦芽とホップを真似て、ラガー酵母を利用したボック・ビールが生まれたのだ。
英国では、独自にエール・ビールが洗練され、18世紀になると、三種類のビールをブレンドすることが流行した。そこで、すでにブレンドされた味のものを合理的に作ってしまおうということで、
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