存在の謎である「世界はなぜ「ある」のか?」という問いは、言い換えれば「何も無いとは何か?」となる。では「何も無い」とは何を示すのだろうか。
著者は「何もない」ということをビッグバン(大爆発)の「前」に例えている。現在、宇宙は膨張していることが観測によって推測されている。膨張しているということは、時間を逆に辿ると、もとは1点に集中することを示している。この宇宙のすべてが1点に集中した状態からビッグバンが起き、宇宙が広がり全てが始まったとされている。
ここで「何も無いとは何か?」が具体的な例となって我々の前に現れる。すなわち全てが始まる前、ビッグバンのその瞬間に「何が爆発したのか?」「なぜ爆発したのか?」。そして「爆発する前に何があり何が起こっていたのか?」だ。このように解釈されれば、存在の謎は哲学の領域から「物理学」「宇宙工学」など理系にも扱える領域に変化する。
現代宇宙論の第一人者であるスティーブン・ホーキングは、「この方程式に生命を吹き込み、この方程式で記述される宇宙をつくるのは何だろうか」と考え、時間は有限だが自己完結型で始まりも終わりもないとした「無境界モデル」を組み立てた。しかし、一応のモデル化をした彼でさえ、存在の謎に対する完璧な解答が得られるかは疑問だという。「宇宙はなぜ、存在するという面倒なことをするのか?」という彼の言葉は疑問を端的に表している。
著者はこの思索の中で「宇宙は、物理的に存在する各種のものからなる」と指摘している。すなわち「科学的な説明は、何らかの物理的な原因を必要とする。だが、どんな物理的な原因も当然ながら説明されるべき宇宙の一部だ」とし、「宇宙の存在を純粋に科学的に説明しようとすれば、どれも循環論法にならざるを得ない」のだ。現代科学が、ビッグバン後の世界で発見された法則である限り、ビッグバン前の「何も無い」を科学で説明することは難しそうだ。
「その謎は存在しない」。第2章の冒頭で『論理哲学論考』から引用されたこの文は、強烈な提起である。すなわち問題自体を見直せ、という事だ。
1889年にオーストリアに生まれたウィトゲンシュタインは、生前に刊行した唯一の書物『論理哲学論考』の中で「神秘的なのは、世界における物事の『あり方』ではなく、世界が存在するという『そのこと』である」と述べた。つまり存在しているということだけで十分であるという。
3,400冊以上の要約が楽しめる