著者は、シンプルに本屋を開きたいと思い、そのためにはどうしたらよいかということを一つずつ積み重ねてきた、と冒頭に記している。
大学受験浪人生時代、予備校に通う電車の中で、いつしか文庫本を読むことが習慣になっていた。外国文学にのめり込みつつ、本の楽しみや書店で過ごす楽しみを覚えた。大学入学で上京してからは、大学の授業よりもキャンパスのある早稲田界隈の古書店やリブロ池袋店などの書店に通っていたという。本が売れていく雰囲気をなんとなく感じ取ったり、印刷製本された本の匂いの中に入ったりすることが、著者にとっては自然な感じのすることだった。本のある空間にいるのが好きなのだ、という気づきから、就職先は書店に決めた。選んだのは、当時最も先鋭的に、書店の本棚を編集する取り組みをしているように見えた、リブロだった。
リブロ入社後は福岡、広島、名古屋の店舗をめぐり、順調にキャリアを積んでいく。リブロは全国チェーンとしては珍しく、店舗ごとの裁量が大きかったため、著者は多くのチャレンジをした。
マネージャーを務めた旗艦店の池袋店では、リブロの伝統を踏襲したジャンル横断棚をつくったり、東日本大震災から1年経ったころ、「3・11以後の本と私たち」というフェアを企画したりした。後者では、さまざまなジャンルの有名人に震災から読んだ本で印象に残っている三冊を挙げてもらい、一年がどのような年であったのかを見通せるような効果を狙った。後者は、毎年メインテーマを変えておこなわれる名物企画となった。
書店の店頭は時々の世相や流行する考えなどが反映されているが、そこに個人の考えが入った方がより面白くなるという確信も、リブロ時代の経験から得たものだ。
著者はリブロ勤務時代に、プライベートで町ぐるみのブックイベントの実行委員をしていたこともあった。そこでできたつながりは、本業の展示企画などにも活かすことができた。こうした「課外活動」をするとき、ただ趣味として終わらせるのではなく、そこで得た人のつながりやスキルなどを会社員としてやるべき仕事に活かしていくことができれば、「課外活動」がその人の得意技になっていく。
「課外活動」で知り合った店主たちは、もちろんそれぞれたいへんなこともあるだろうが、自由で楽しそうだった。自分の店を持とうという思いが心に芽生えたのは、彼らの生き方が著者自身にも近しいものとして感じられたからだ。
開業準備としてやるべきことはたくさんあるが、思い立ったらすぐに始められることがある。それは、事業計画書をつくることだ。店のための物件が出てくるのを待っていた時期につくった事業計画書は、あとあと、物件を競合から勝ち取ったり、取引先や銀行と口座を開いたりした時に役立ったという。加えて何よりも、事業計画書をつくって周りの人に見せることで、様々な意見をもらうことができた。それらをもとに練り上げることで、つくりたい店の輪郭も定まってきた。
店をやろうというときに最も重要といえるのが立地である。著者も様々な場所を「ロケハン」した。いくつか気になっていた土地に実際に行くと、この街は何となく敷居が高い、あの街は環境が良すぎてかえって文化的なことを渇望しなくなるのではないか、などさまざまな違和感が出てきた。これらを確かめたことは、
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