およそ1万年前、ヒトは定住を始めた。人口が増えたことで、自然から採集して食べるだけではなく、自分たちで食糧をつくり出す必要が生じたためだ。定住と同時期に、犬の祖先を飼うなど、動物の家畜化も始まった。
紀元前6000年ごろになると、メソポタミアの農民は、農業の生産量を増加させるためにダムと灌漑用の水路をつくった。こういった大規模な設備を活用するためには、それまで以上に固まって暮らす必要があった。そうして、帝国が生まれた。帝国ができたのは食の必然性からだったのだ。
中国でも、大河の周辺に集落ができ、ダムがつくられた。ダムがつくられると、さらに固まって暮らすようになり、帝国が誕生した。
同様に河川流域から定住が始まったエジプト文明では、パンが生まれ、食物を油で炒めて食べていた。エジプト人がナイル川渓谷で暮らす他の集団を支配できたのは、栄養価の高い食物を食べていたからだ。
3000年前、サハラ砂漠以南のアフリカでは、地域ごとに食事情が大きく異なっていた。とはいえ、一部の種族をのぞき、ほぼ全員が定住化しており、食糧事情はきわめて良好だった。だから希少性を管理する必要がなく、帝国が形成されることはなかった。
ローマ帝国のほぼ全域に広がったキリスト教は、ローマの宗教やユダヤ教の宗教行事の多くを踏襲した。キリスト教は当初、ユダヤ教と同様に、血を抜いていない動物や人間が処理したのではない動物を食べることを禁じるとともに、キツネ、ネズミ、ノウサギなどの動物を食べるのは危険だと見なしていた。
だが次第に、食事に関する戒律は緩められた。866年、金曜日を除き、あらゆる肉を食べる権利を認めるようになった。修道士は貧民に寄り添うために、肉を食べなかった。
イスラーム教では、食は神からの祝福の証であるとされ、控え目に食べることが推奨された。食事の前後の祈祷が求められ、厳格な戒律によって処理された動物しか食べてはならず、アルコールの摂取も禁止された。
1870年ごろになると、食の価値は栄養価で測られるようになった。1880年ごろには、食の栄養価を量的に検証するために「カロリー」と「ビタミン」という概念が登場し、味は二の次になった。
この流れの中で、アメリカでは、味気ないものを素早く食べて満腹になるためのあらゆる手段が講じられた。食卓ですごす時間は減り、工場だけでなく家庭でも食事にかける時間は削減された。そうしてアメリカ人の生産性は向上し、アメリカ経済は急成長を遂げた。
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