あなたや私を病気だと決めるのは、本人、医師、そして社会だ。
私たちは、具合が悪いと感じると、これまでの経験に照らし合わせて、しばらく様子をみれば治まりそうかどうかを判断する。子どもが成長するにつれ、腹痛で泣かなくなるのは、「これくらいの痛みだったら、もう少ししたら波が引いて、治るはず」「痛み止めを飲んで寝ていたら、明日には治っているはず……」などと未来予測し、判断できるようになるからだ。そしてたいていの場合、その痛みは治る。
自分の未来を自分自身で予測し、それが当たり続けている限り、医者に会いに行く必要はない。だから「病気を決めているのは自分自身」ということになる。
病院の門をくぐることになるのは、これまでに経験したことのない痛みがあるときや、症状がどんどん悪化するのを自覚したときだ。経験したことがなければ、すでに経験が蓄積されているプロに、自分の体の未来予想図を描いてもらわなければならない。病院は、患者が自分で未来を予測できないときに行く場所であり、医者は、患者に代わって患者の未来を精度高く予測する人だ。
患者と医者以外の全てである「社会」もまた、病気かどうかを決めるファクターだ。「患者」が病気であるかどうかは、必ずしも「患者」だけの問題ではない。「患者」は病気だと感じていなくても、社会的な生活が困難になると予想された場合に、周囲にいる人々が「患者」を「患者」として対処するケースがある。
具合が悪くなったときにまず大切なことは、「すぐに病院に行くべきか、あるいは家でじっくり様子をみてもいいのか」を判断することだ。この判断において、自分の経験だけをよりどころにするには限界がある。そこで著者は、総務省消防庁のアプリ「Q助」を活用することを勧めている。
Q助を開くと、ざっくりしたものから徐々に小さなものへと、次々に質問が表示される。この質問に答えることで、救急車を呼ぶべきだ、少し待って翌日に病院にかかれ、などといった指示を受け取れる仕組みだ。
Q助は、病名を絞り込むためのアプリではない。しかし、今どう行動すればいいかは確実に指示してくれる。まるで名医の問診を受けているように、最初の行動までにかかる時間をぐっと短縮できるのだ。
名医と呼ばれる人たちは、患者を診察するにあたり、そもそも思考をしていないことがある。
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