「時は金なり」という言葉は、広く知られている。これは日本のことわざだと勘違いしている人もいるかもしれないが、実は英語の「Time is money」を和訳したものとする説が有力である。もしかすると、昔の日本には「時間はお金と等しく大切なもの」という発想がなかったのかもしれない。さて、このことわざが定着した現代においても、日本人は本当に時間を大切にしているだろうか。
著者は10代のころアメリカに住み、大学卒業後、日本で就職することにした。当時のアメリカは不況で、就職先を見つけるにも一苦労。一方、当時の日本は、破竹の勢いで成長を遂げていたころである。そういった環境に身を置けば得るものも多いはずだと、期待して就職した。
だがその期待は、入社して早々に打ち砕かれる。どうしても環境に馴染めなかったのだ。IT系企業であるにもかかわらず社内のやりとりは電話かファックス、新入社員が早朝出勤をして先輩の机を拭くなど、例を挙げればきりがない。
なかでも最も非合理的だと感じたのは、人の時間を奪うことに無頓着なカルチャーである。会議の開始時間はみなが守るのに、終了時間は誰も守らない。少しでも遅刻すれば減給されるのに、残業は終わりがない。「ノー残業デー」が設けられていて他の曜日にしわ寄せがいくのも、有給休暇を取ると嫌な顔をされるのも、飲み会や社員旅行などで拘束されることにも、我慢がならなかった。
ほとほと嫌気がさし、3年目を目前に退職を決めた著者は、アップルジャパンへの転職を果たす。
アップルジャパンの働き方は、新鮮だった。コアタイムさえ守っていれば、何時に出社し、何時に帰ってもいい。自宅から電話会議に参加する社員もいる。仕事の進め方は人それぞれだった。
今でこそリモートワークは珍しいものではなくなったが、当時の日本では異質だった。さまざまな点で日本企業とは異なり、こんなにゆるくて大丈夫なのだろうかと不安になるほどだったという。それにもかかわらず、同規模の日本企業よりずっと高い利益率を叩き出していることに、混乱せざるを得なかった。
なぜ日本の会社は社員の時間を尊重しないのか。これはおそらく、会社が自社の従業員を全く信用していないからだ。「目の届かないところにいたら怠けるに決まっている」と考えているふしさえある。そんな会社のために、社員が本気で働くわけがない。この「社員を信用しない企業風土」こそが、平成時代に日本を衰退させた原因のひとつではないだろうか。
現代の労働に求められるのは、新しいビジネスアイデアを創出することだ。かつてのように、みんな同じ時間に職場にやってきて、みんなで何かを組み立てていればいいような時代であれば、これまでのようなやり方で問題ないのかもしれない。しかし、インターネットが普及した今、それでは高いパフォーマンスを発揮できない。日本を成長させるためには、社員を時間で拘束するのではなく、その貢献度を成果で図る仕組みを取り入れるべきなのだ。
個人差があるにせよ、一日のうちで頭が一番シャープに回転するのは午前中だ。だから、朝一にメールチェックをするのはよくない。頭がよく働く午前中には、もっと重要な仕事に取り組むべきだ。
では、どうすれば朝の時間を有効に使えるのか。
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