南極大陸横断を目指し、シャクルトンが率いる探検隊は、母国英国を後にした。乗り込んだ船はエンデュアランス(不屈の忍耐)号。出発前、想像もできない困難を乗り越えていく力がシャクルトン隊長にあるのだろうか、と尋ねられた隊員は、「あの人は立派な隊長さね。部下を危険な目にあわせることは、できるかぎり避ける。しかし、どうしても避けられない危険があるときには、賭けてもいいが、あの人が先頭に立って向かっていくのさ。」と語っている。
南へ向かう船を阻んだのは、例年にない多くの氷だった。出発した1914年の翌年、1915年の1月半ば、ついに船は氷に閉じ込められ、動くことができなくなってしまった。
冬が近づいても状況は変わらず、氷上の越冬は避けられない事態になった。だが、エンデュアランス号の乗組員は全員、船が頑丈なことを確信していたため、この時はまだ予定が遅れること以外は退屈することだけを心配していたのである。
隊員たちの中には、船乗りもいれば、大学の研究者もいて、さまざまなタイプの人間の寄せ集めだった。それに、行くこともやることもない船の中に男だけで閉じ込められている。しかし、シャクルトンがリーダーであるかぎり、けんかが起こることがなかったそうだ。
隊員たちが閉所症候群で気が変になってしまうのを防ぐため、シャクルトンは日課を定め、それが守られるよう工夫を重ねた。また、トランプや推理ゲーム、物まね、レコード鑑賞、スライドを使った講義、朗読など、楽しく過ごす方法が編み出された。船の外では、連れてきた犬でそりを引いてレースが催されることもあったという。
だがしかし、南極の冬は船員たちの想像を超えていた。船の周りで凍った氷が、ぎりぎりと船を圧迫していた。春が訪れても水路はひらかず、とうとう恐れていた日がやってきた。とてつもない自然の力が船を圧迫し、ついに船倉から水が噴出したのだ。奮闘の末に、ついにシャクルトンは救命ボートと食糧を降ろし、氷上に移動せよという命令を出した。
いまや南極大陸横断の夢は断たれた。だが、隊員全員が生きている。「今後成すべき仕事とは、探検隊全員が無事、故郷に帰り着くことだ」と、シャクルトンは日記に記している。
氷結した海で船が難破することは、必ずしも確実な死を意味するわけではない。海水が凍結するとき、水温が下がると、まず表面の水が凝縮しはじめる。個々の氷晶が核のようになって、まわりの水はこの核にくっつくようにして凍る。このとき、塩は下の水の中に押し出される。すると、氷自体は真水となるので、解かせば飲料水にすることができるのだ。
船外で、シャクルトンは金のシガレットケースと何枚かの金貨をポケットから取り出し、雪の上に捨てた。聖書も、1ページだけを残して捨てた。隊員たちにどうすべきかを示したのだ。生きのびたければ身軽になれ。物への愛着を断ち切れ。シャクルトンは、その場に応じてしなやかに対処することを信条としていた。
それでも、食糧を積んだ救命ボートは1トンを越え、雪に吹きつけられながらボートを引きずって運ぶ行程は遅々として進まなかった。
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