地元の信用金庫を退職した後、雑貨の企画製作を行う「ジェイアイエヌ」を起業した田中仁氏は中国製のバッグで利益をあげ、次なるヒット商品を模索していた。
そこに衝撃的な出合いが訪れる。たまたま旅行で訪れた韓国で、メガネが1本3000円、しかも注文してから15分で手に入れられるという看板を見つけたのだ。当時の日本で買えるメガネの相場は3万円ほど。メガネを選んでから受け渡しまでは何日もかかっていた。
この価格差がどこから来るのか気になった田中氏は、メガネ業界について調べてみた。すると、メガネ店の店舗には客がほとんどいないにもかかわらず、日本のメガネ業界はちゃんともうかっている。日本では、メガネをつくる人と買う人の間に、フレームやレンズのメーカー、取次業者、販売店などたくさんの人が関わるため、多額の中間マージンやブランド料金が発生していたのだ。価格は跳ね上がるが、十分に利益を見込んで設定された価格であるため、売れるメガネの本数が少なくても十分利益が出せるのである。
田中氏はここでひらめいた。製造小売業として製品の企画開発、製造、販売までを一手に引き受けられれば、メガネの価格を大幅に下げられるのではないか。そうすれば大ヒットとなったユニクロの低価格フリースと同じように、低価格のメガネは業界を変える存在になれるかもしれない。
1本のメガネの値段を5000円まで下げられるのではないかと見込んだ田中氏は、格安でレンズやフレームを卸してもらえないかとメーカーへの交渉を始めた。しかし国内メーカーではとりあってもらえない。そこで、商売のヒントを得た韓国の現地メーカーをまわることにした。
流通ルートもコネもなかったが、知り合いに通訳を頼み、一軒一軒メーカーをあたって、ようやくフレームとレンズを安く卸してもらえる会社が見つかった。
製造のめどがつき、田中氏はまず福岡に店舗をつくることにした。地方の大都市で成功すれば、ほかの地方都市でも成功できると踏んだからだ。最初から全国展開を念頭に置いていたのは、このときすでに商売がうまくいきそうな「におい」をかぎとっていたからであった。
2001年4月、屋号を「JIN’S」(以降JINS)に決め、ジェイアイエヌ初のメガネ店がオープン。価格はメガネ一式5000円と8000円のツープライス制を設定した。
今から見れば荒削りな店舗や製品だったが、クチコミやニュースが評判を呼び、1日に100本以上のメガネが飛ぶように売れた。お客さまが集まりすぎて、スタッフが泣きついてくるほどだったという。
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