日本は「世界一の老舗大国」である。実践経営学会の調査によれば、創業から200年以上続いている企業は、韓国はゼロ、中国は6社、インドでは3社しかない。では日本はどうかと言えば、なんと3000社もある。日本に次ぐのはドイツだが、およそ800社で、日本の4分の1程度にすぎない。東京商工リサーチによれば100年以上で2万7千社、500年以上でも158社、千年以上の超老舗も6社存在しているという。いずれにしても、日本の老舗の数はずば抜けている。
世界一の長寿企業も日本にある。大阪にある「金剛組」で、おもに社寺の建築や修繕に携わってきた建築会社だ。創業は578年で、古墳時代後期から今日まで、実に1436年も存続してきた。
日本が世界一の老舗大国になれた一番の理由は、日本が事実上、長期にわたって侵略されたことも内戦に見舞われたこともなかったからだ。朝鮮半島は周辺の大国にくりかえし蹂躙されてきたため、100年を超える老舗は存在していない。日本でも老舗企業が多い京都では876もの老舗が存在しているのに対して、沖縄では泡盛の蔵元などたったの9社しかない。老舗の敵は紛れもなく戦争と言うことができよう。
本書で最初に紹介されている企業は1805年創業の「近江屋ロープ株式会社」だ。当初は麻の糸や布を販売していたが、やがて綱づくりに本業を移した。幕末には新撰組に「御用の縄」を納めていたものの、代金は踏み倒されることが多かったという、京都の老舗ならではのエピソードもある。明治以降はロープを製造し、戦争が終わるとロープの卸売り専業となり、販路をいっそう広げていった。
とくに、戦後の住宅建設ラッシュで盛んになった林業用のロープの伸びが著しかった。木材の搬送に使うウィンチやチェーンソーのような林業機械の卸売りにも乗り出し、収益はさらに拡大。高度経済成長期には社員旅行で一同ハワイにくりだすほど景気が良かった。
1980年代後半から90年代にかけてのバブル経済の絶頂期には、地価の高騰を背景に建築・土木業界が湧きかえり、近江屋ロープの売上は毎年10パーセント以上伸びていった。だが、現社長である野々内達雄さんが8代目社長に就任すると、その直後にバブルがはじけてしまう。
林業に依存していた近江屋ロープは業績が急降下。さらには大番頭役の専務や監査役、先代社長の父親ら何十年も会社を支えてきた3人が相次いで亡くなり、経営は悪化の一途を辿る。社内の空気も沈み、営業担当の社員も外回りにしぶしぶ出かけていく有様だった。
そんな体たらくに業を煮やし、古株の営業課長を呼んで叱りつけた野々内さん。だが、そこで思いもよらない悲痛な叫びが返ってきた。「社長はもう、私も卸販売も見捨てておられるんでしょ。」
「見捨てる」という言葉は、よほど切羽詰まっていなければ部下の口から出てこない言葉だ。野々内さんはそのとき、200年続いた老舗の暖簾を守ることばかりに汲々として、社員の苦しみには無頓着でいた自分に気づいたという。
社員を守るためなら何でもやろう。暖簾を捨ててもかまわない。それほどまでに固く意を決したのだった。
転機となったのは新商品の開発だった。「社長、どうか私のことを見捨てないでください」と懇願してきたベテラン社員が、シカの食害をふせぐ新たなネットの開発を提案してきたのだ。
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