DNAとはなにか。遺伝子の精妙なメカニズムを理解することの意味は、単に医学に役立つということにとどまらない。この地球上に誕生した我々の文明の未来がどのように複雑な連鎖を描いて伸びていくのかを理解することにもつながるというのだ。私たちの身体の細胞の中にあるDNAは、私たちの歴史そのものなのである。
ヒトのゲノムは三〇億個の文字列から成り立っている。遺伝子研究では、この中から特別な文字列を探し出すことが必要だ。しかし、人間よりも何兆分の一も小さいDNAを物質として取り扱うためには、必要な文字列部分のコピーを膨大に増やさなければならない。その数なんと一〇億コピー以上だ。マリスが発明したPCR(polymerase chain reaction) は超微量のDNAを検出し、それを短時間で何十億倍にも増幅することを可能にさせた。
この方法は遺伝子疾患の診断にも有効であった。PCRを使うことで個人の遺伝子の中から病気を見つけることができ、さらに犯罪捜査でも力を発揮する。微量の証拠品、たとえば精液、血痕、毛髪から犯人が誰かを言い当てることができるのだ。
このように、マリスによって発明されたPCRは分子生物学のあらゆる分野に革命をもたらした。特筆すべきところは、この発明は当時誰もが知っていた既知の現象を組み合わせてなされたということである。さらに、この世紀の大発明は当時付き合っていた彼女とのドライブの間に突然ひらめいたというから驚きだ。そして、マリスはこのPCRの発明によりノーベル化学賞を受賞することになる。
「科学とは楽しみながらやることだと信じてきた」ノーベル賞受賞講演でマリスはこう語ったという。PCRの発明も、子供の頃、サウスカロライナの田舎町で遊びでやっていたことのほんの延長線上にあった。PCRは、分子生物学に革命をもたらしてやろうと考えて発明されたわけではなく、むしろ、当時素人同然だった自分の実験に必要な道具として発明された。
「もし自分がしようと思っていることについていろいろな知識をもっていたら、それが邪魔になってPCRは決して発明されていなかっただろうと思います」。そう、それは純粋な好奇心と遊び心がもたらした発明だったのだ。
人間にとって必要だが自分では作れない物質がいくつかある。しかし、それは進化の途上で、食事で十分量供給できる物質だからである。それなのに、人間がつくり出せないという部分ばかりがわれわれの食生活の中で強調されすぎているのである。そのいくつかの例を紹介しよう。
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