「僕たちは、みんな虫だ。しかし、僕だけは…蛍だと思うんだ」チャーチルが少年の頃友人と人生について議論していたときの言葉だ。チャーチルは、死ぬまで自分が特別な人間だと信じて疑わなかった。
類まれなる文才を持っていたチャーチルは、英国陸軍として勤務中に、新聞に戦地の様子を寄稿し、その記事はルポルタージュ作品として出版もされている。しかしその行動は若い士官としてはあまりに型破りで、上官や同僚には疎まれたという。
チャーチルは、決して人好きのする性格ではなかったが、自分が手に入れたいと思ったものは何としても手に入れる肝っ玉があった。そして、この肝っ玉と直感力、さらに正しい瞬間に断行する決断力が、政界で成功する上で何ものにも代え難いものであったのだ。
チャーチルの大胆さを示す最初の例は、議会に初当選してから数年後、議場を横断して保守党から自由党に鞍替えしたことだ。その当時、保守党は英国製品を守るための保護関税法を提案していた。しかし、雇用や生活水準の改善が20世紀のイギリス政府最大の課題になると見抜き、そのために自由貿易こそがとるべき政策であると、チャーチルは結論を出したのだ。
入閣を果たしてからは、炭坑夫の8時間労働制の確立や、坑内の安全設備の義務化を決定した。14歳以下の少年の坑内労働を禁止し、さらに、商店労働者には休憩時間を与え、最低賃金制を導入し、監獄での待遇を改善した。こうした政策は、英国が福祉国家となる第一歩に通じるものであった。
第二次世界大戦は、チャーチルの超人的な能力と個性にふさわしい舞台だった。偉大な指導者が戦争の脚光を浴びて光るのは悲しい皮肉だが、と付け加えつつ、筆者ニクソンは述べる。
チャーチルは、ヒトラーに対抗するため英国の軍備を増強し、民主主義国は団結すべしと訴えていたものの、1939年のナチスのポーランド侵攻以前は、誰もそれを真面目に考えていなかった。チャーチルはじつに正しく、具眼の士であったのだ。
「イギリス人は世界に冠たる民族であり、ライオンの心を持つ民である。私は幸運にも、それに吼えよと命じる役を与えられた」
そう叫び、首相に就任したチャーチルは、一種の伝説となった。
チャーチルの雄弁はイギリス国民を奮い立たせ、勝利へと導いた。戦場にいた筆者ニクソンは、米国のルーズベルト大統領の演説よりもチャーチルの声に酔ったという。
チャーチルこそ、20世紀の歴史の中にそびえる偉大な指導者だった、と筆者は讃える。
1945年、マッカーサーは、日本の精神と肉体を支配下におさめた。250万人が戦死し、街は焦土となっていた。さらに、日本人を内から支えていた天皇制の信念は崩壊していた。
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