本書は高田社長の衝撃的な宣言から幕を開ける。「過去最高益(経常利益)を更新できなければ、社長を辞めます」。それは2012年12月、ジャパネットたかたが2年連続の減収減益となったタイミングのことであった。
ジャパネットたかたは、高田社長が長崎県佐世保市に構えた小さなカメラ店からスタートしている。1990年にラジオ通販に進出して以降拡大を続け、年商1000億円を超える企業に成長した。そのジャパネットたかたの苦境は、主力商品だったテレビの販売不振が原因で訪れる。
つい数年前まではテレビ販売は絶好調だった。09年5月に開始された「家電エコポイント制度」とその後の「地上デジタル放送完全移行」を受け、特に地デジ対応テレビの売上が急伸。最盛期には1日に約1万台ものテレビが売れ、売上高全体の5割以上を占めるに至った。
当時から高田社長はテレビ好調の反動に備えて社員全員に「テレビがなかったら、ジャパネットは何をすべきか」という課題を出していたのだが、その反動は予想以上だった。
地上デジタル放送完全移行前の3割減の反動という市場予測とは異なり、テレビの売上は11年の3割程度まで一気に落ち込んだ。ジャパネットのテレビ販売額は更に大きな影響を受け、ピーク時(960億円)の5%(60億円)に減少。
追い打ちをかけるように、スマートフォンやタブレット端末の普及で、それまでジャパネットが得意としてきたデジタルカメラやカーナビの市場も縮小。その結果、10年度の売上高1759億円、経常利益136億円から、12年度は売上高1170億円、経常利益73億円と大幅減となった。
通信販売市場全体が拡大を続ける一方で、業界内外から「ジャパネットは大丈夫か」と言われていたようだ。その主な理由は、売上の約7割をデジタル商品が占めていたためであった。
テレビの穴をどう埋めるのか。ジャパネットは12年から本格的に商品構成を変えていく。その1つが白物家電へのシフトである。ジャパネットの十八番であるテレビ関連商品ではなく、掃除機やエアコン等の白物家電に注力し、商品の魅力を余すことなく伝える方針に転換したのである。
第2の戦略がナショナルブランド以外の展開。従来のジャパネットはナショナルブランドの取り扱いが原則だった。会社の認知度がまだ低い時代にその信用を補完する目的の方針だったが、メーカーおよび商品の信頼が高いと判断できれば他の商品も扱うことにしたのだ。
3,400冊以上の要約が楽しめる