ネガティブ・ケイパビリティとは何か。それは、英国の詩人ジョン・キーツが兄弟に宛てて書いた手紙に出てくる言葉である。「事実や理由をせっかちに求めず、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいられる能力」だという。普段、能力という言葉は、理解、解決、対処などに使われ、私たちはそれらを身につけようと努力している。
また、人間の脳には、物事を「理解」しようとする傾向もある。そして、性急な証明や理由を求めがちだ。しかし、そうではなく、分からないことを分からないまま、宙ぶらりんの状態で受け入れ、耐え抜く。この能力こそがネガティブ・ケイパビリティなのだ。
キーツは、シェイクスピアがネガティブ・ケイパビリティを有していたと書き記している。これは、私的な手紙の中に、しかも文学の分野で使われた言葉だった。それを、精神分析の分野に持ち込んだのが、英国の精神分析医であるウィルフレッド・R・ビオンである。ビオンの主張はこうだ。精神分析医には、「患者との間で起こる現象、言葉に対して、不可思議さ、神秘、疑念をそのまま持ち続け、性急な事実や理由を求めないという態度」が必要となる。精神分析学には多くの知見があるため、精神分析医は理論を患者に当てはめて、患者を理解しようとしがちである。ビオンはそうした態度に警鐘を鳴らすために、ネガティブ・ケイパビリティという概念を提唱した。
ネガティブ・ケイパビリティを身につけるのは難しい。私たちの脳は生来、物事を「分かろう」とするからだ。人類はその歴史の中で、「分かる」ために様々な努力をしてきた。文字や数字、図形などの記号によって世界を記すことや、何かしら一貫した法則を見出そうとすることもその一環である。ハウツー本が流行るのも、「分かろう」とする姿勢の現れといえる。しかし、「分かろう」として、ごく浅い理解でとどまってしまうことも多い。
神経心理学者の山鳥重氏は、「分かる」には浅い理解と深い理解があるとしている。浅い理解で止まってしまいやすいのは、小さな理解を積み重ねて全体を理解しようとする、「重ね合わせ的理解」だ。
それに対して、深い理解とは「発見的理解」である。これは、自分で立てた仮説に沿って物事を観察し、仮説を検証することのくり返しによって到達できる理解だ。不可解な事柄を無視したり、拙速な答えを出したりせず、その宙ぶらりんな状態を観察し続けることが求められる。つまり、深い理解とはネガティブ・ケイパビリティによってもたらされるといえる。
「分かろう」とする脳が、分からないものを前にしたときに苦しむ例は、音楽と絵画だろう。クラシック音楽や抽象画に初めて接すると、多くの人は「分からない」という。しかし、分かることを拒否した上で、高い次元で感覚に訴えかけてくるのが、音楽や抽象画である。脳はそこで「分かりたい」という欲望から解放され、進化した喜びを感じているかもしれない。
現代の医学教育は、なるべく早く患者の問題を見つけ、すみやかに解決を図ろうとする。いわば、ネガティブ・ケイパビリティの逆の「ポジティブ・ケイパビリティ」だ。
診療の記録も、SOAPという、ポジティブ・ケイパビリティに沿った方法で記される。SOAPとは、Subject、Object、Assessment、Planの頭文字を取ったものだ。それぞれ、「患者の主観的な言動や症状」、「主治医が診察や検査で得た客観的なデータ」、「SとOからの判断評価」、「解決のための計画、治療方針」を指す。この方法をとると、問題の早期発見や迅速な解決につながる。
しかし、現実には問題が見つからない場合、複雑すぎる場合、解決策がない場合なども存在する。たとえば、末期ガンの患者の場合は、解決策がないといってよい。こうなると、ポジティブ・ケイパビリティのみを身につけた主治医は、無力感を覚えるため、患者のそばに行くことすら苦痛となる。
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