こころの相続

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出版社
SBクリエイティブ

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出版日
2020年07月07日
評点
総合
4.0
明瞭性
4.5
革新性
3.5
応用性
4.0
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おすすめポイント

「相続」と聞いたらまず資産が思い浮かぶはずだが、著者のいう「こころの相続」は一味違う。私たちはモノとしての財産だけではなく、「形なきもの」を色濃く相続している。本書は、そうした無形の相続を読者と考えていくために書かれたものだ。

著者の五木寛之氏は、「形あるもの」だけが昨今の相続談義の対象になっていることに疑問を投げかける。私たちが親や家から相続するのは、目に見える財産だけではない。たとえば魚の食べ方や靴の脱ぎ方、歯磨きの仕方。こうした日常の所作に、親や家から受け継いだ、形のない「相続」がたくさん宿っているはずだ。著者は、この無形の相続を「こころの相続」と呼び、その重要性に光を当てていく。これは個人から個人の相続に限らず、社会や国家、文化、歴史などの社会的な相続をも含んでいる。

形のある財産の引き継ぎ方について考えたことがある人でも、形のない財産の相続について考えたことがある人は少ないのではないだろうか。親から引き継ぐ財産などないと思っていた方でも、聞いてみたい思い出話、引き継ぎたい習慣なら、思いつくかもしれない。

「こころの相続」は、忙しい生活ではつい後回しにしてしまいがちなトピックかもしれない。だが、自分が何を相続してきたか、相続したいか、そして子どもや子ども世代に何を相続させたいかを考える時間は、非常に価値あるものだろう。本書を入り口に、「こころの相続」について考え始めてみてはいかがだろうか。

ライター画像
池田友美

著者

五木寛之(いつき ひろゆき)
1932年福岡県生まれ。朝鮮半島で幼少期を送り、47年引き揚げ。52年早稲田大学ロシア文学科入学。57年中退後、編集者、ルポライターを経て、66年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、67年『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞、76年『青春の門 筑豊篇』ほかで吉川英治文学賞、2010年『親鸞』で毎日出版文化賞特別賞。代表作に『朱鷺の墓』『戒厳令の夜』『風の王国』『蓮如』『大河の一滴』『百寺巡礼』など。英文版『TARIKI』は2001年度「BOOK OF THE YEAR」(スピリチュアル部門)に選ばれた。02年に菊池寛賞を受賞。09年にNHK放送文化賞を受賞。10年『親鸞』で 第64回毎日出版文化賞特別賞を受賞。

本書の要点

  • 要点
    1
    人は親や親世代から、形のないものや目に見えないものを数多く相続している。この無形のものの相続を、「こころの相続」と呼び、その重要性に気づくことが必要となる。
  • 要点
    2
    親は子に、生前できるだけ多く自分たちの歩いた道を語っておくほうがよい。立派な姿を見せる必要はない。弱さをさらけ出すほうが、大事な財産として子供の心に残るだろう。
  • 要点
    3
    集団の記憶の相続では、戦争の記憶は必ず引き継がれるべきものの一つだ。大局ではなく個人の視点から見た戦争の実態は、その悲惨さが際立って見える。

要約

こころの相続とは

魚の食べ方が教えてくれる無形の相続
Sinenkiy/gettyimages

著者は「相続」に関するテーマの講演に呼ばれるようになった。そのきっかけとなったエピソードを紹介しよう。著者はある出版社との打ち合わせの後、編集者数人と食事をした。焼き魚定食を食べ終えた後、20代と思われる女性編集者の皿の上を見て驚いた。魚の骨がまるで標本のように、綺麗に皿の上に横たわっていたのだ。「こんなに綺麗に焼き魚を食べる人を見たことがない」。著者がそういうと、その編集者は母親が魚の食べ方にうるさかったのだと教えてくれた。彼女の母親自身も、昔は母親から魚の食べ方を注意されていたそうで、いわば三代続いた魚の食べ方なのだ。

そのときふと著者の心に浮かんだのは、親や家から相続するのは財産だけではないということだ。魚の食べ方は一例にすぎないが、私たちは目に見えないたくさんのものを相続するのではないか。だとしたら、自分が何を相続してきたか、子どもや子供世代に何を相続させるのかを見直したほうがいいのではないかと思い至ったのだ。

このエピソードを交えたインタビューを機に、著者はこのテーマで講演を重ねることになる。いつしか、長い間「親から何一つ相続していない」と思っていた著者自身が、じつは相当な目に見えないものを相続してきたことに気づく。こうした形のないものの相続を、著者は「こころの相続」と呼んでいる。

親からの相続

「記憶の相続」をしなかった後悔

著者は父親から「形あるもの」を何一つ相続しなかった。しかし、最近になって、無形のもの、目に見えない様々なものを相続していることに気づいた。

九州の山村にある父親の実家に、著者は朝鮮からの引き揚げ後に居候していた時期がある。少ない耕地で稲や麦を植える。タケノコをとる。ハゼの実をとる。まさに「なんでもやる」という意味をもつ百姓の家系に生まれた父親について、著者はその生年月日すら知らないことに気づいた。「記憶の相続」がなかったのだ。なぜ生前に、もっと父親の若い頃や生い立ちの話を聞いておかなかったのだろうと悔やむばかりである。

母親は40代、父親は50代と、早くに亡くなってしまったことも、両親の記憶を相続できなかった一因といえる。しかし、それまでに話を聞く機会がなかったわけではない。

親は子に、生前できるだけ多く自分たちの歩いた道を語らなければならない。子が親から相続すべきものは、モノだけではないのだ。

受け継いだ記憶という遺産
Minerva Studio/gettyimages

それでも、著者は父親から見えない相続をたくさんしている。一つは、やたらと本を大切にするというマナーだ。父親の影響で、著者は今でも本をまたいだり、ページのはしを折ったりすることを避けている。漢文の先生だった父に習った詩吟は、物覚えが悪くなった今でも記憶に残っているほどだ。

母親に対して印象的なのは、廊下の隅においたオルガンを弾きながら歌っている姿だ。母親は抒情的な童謡・唱歌を好んで歌っていた。それゆえ、著者は今でも日本の童謡や唱歌に関心がある。幼児期の記憶が抒情的な童謡とともにあることは、母親が残してくれた遺産だと感じている。こうして思い返してみると、両親から相続したものはじつはいくらでもあるのだ。

父のため息の重み

著者の父親に関する印象深い記憶といえば、父親のつく深いため息だ。父親は夕方ビールを一本飲むと、ひっくり返って、「あ〜あ」とため息をついた。今となっては、そんな父の姿に「大変だったんだろうな」と、共感と懐かしさを覚えるのだ。

農家の三男に生まれた著者の父親は、無料で学べるところを探し、小学校の教師になった。検定試験を受けるために寝る間も惜しんで勉強し、外地へ渡った。そして、僻地の学校を転々としながらいくつかの検定試験に合格。ソウルの小学校教師、平壌師範学校の教師と一歩ずつ階段を上っていった。やっとここまでたどり着いたと思ったときに迎えたのが敗戦だ。父親の野心と家庭は崩壊し、やがて朝から酒に溺れ、無気力状態になった。

父のため息は、一種の「負の遺産」といえそうだ。しかし、そのため息の重さは、著者の人生に大きな意味をもたらし、生きる勇気を与えていた。子に偉大な父親、立派な母親の姿を見せ続ける必要はない。むしろ無理をせずに、弱さをさらけ出すほうが、大事な財産として子供の心に残るのかもしれない。

歴史の相続

忘れてはならない戦争の記憶

「こころの相続」の最大のテーマは「記憶の相続」である。その最たるものが戦争だ。戦争を知る世代である著者がなんとしても伝えなくてはと思っているのは、戦争の記憶である。

戦争の実態を知らなければ、戦争は敵と戦うことだと考えるかもしれない。だが、じつはそうではない。戦地では戦闘以前に悲惨な生活があった。戦争というと、勇敢に戦って死んだ戦死が描かれることが多い。しかし現実には、戦闘による死よりも、マラリアや赤痢などの戦病死、食糧不足による餓死のほうがはるかに多かったのだ。厭戦や傷病による絶望で自殺する兵士は後を絶たず、日本軍の自殺率は世界一とまでいわれた。

名誉の戦死とは異なる兵士たちの死といえば、35万人にもおよぶ艦船沈没による死もある。急ごしらえの輸送船に押し込められた兵士は、米海軍潜水艦に狙われやすい。船が沈没しそうになると、彼らは脱出も救出もままならないまま死んでいった。救命ボートにも限りがあり、海上で浮遊物を兵士同士が奪い合い、地獄絵図の様相を呈していた。

戦局が悪化し撤退することになると、歩けない傷病兵の処置が問題となる。銃を撃てる者は敵に抵抗した後に自殺用の毒薬を飲むよう命じられた。さらには、「ここで自決すれば戦病死ではなく戦死扱いにする」といわれて自殺した傷病兵も少なくなかったという。

伏せられていた性接待の事実

最近になって、敗戦時の旧満州や北朝鮮での性接待の事実が語られるようになってきた。ソ連軍との交渉により、特定の女性たちがソ連の将校の慰安婦として差し出され、何百人もの人間が集団自決を逃れた。彼女たちの犠牲により多くの人の命が助かったにもかかわらず、女性たちは「接待」が行われた当時ですら仲間の男たちにからかわれた。帰国後には、その事実を知った人からも差別を受けることになったのだ。陵辱の体験だけでなく、その後の中傷が彼女たちの心と体をさらに傷つけたであろうことは想像にかたくない。

戦争のような極限の状況では、人間が人間でなくなる。一人ひとりの人間の視点から見た戦争の現実の中から、目を背けたくなるような事例を挙げようと思えばきりがない。こうした実態を知っていれば、「戦争すればいい」などと軽々しく口にできなくなるはずだ。

【必読ポイント!】 回想による相続

人生の下山は回想による相続の適期
cdbrphotography/gettyimages

これまで「こころの相続」が個人の癖から歴史にまで至ることを見てきた。では、こうしたものを次の世代にどうやって相続していけばよいのだろうか。

古代中国で唱えられた「陰陽五行説」によれば、人生は「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」の四つの時期に分けられる。青春と朱夏は、人生という山を登る成長の時期であり、頂上へとわき目もふらずに進んでいく。やがて迎える下山の時期が白秋であり玄冬だ。

ただし、力が衰えたから下山するのではない。著者はこの時期を「成熟期」ととらえている。登山でも、下山のときは登った山を振り返って満足感に浸り、遠くに見える景色を心に留めたりしながらふもとをめざす。同様に、人生の後半を迎えて下山するときに初めて、私たちは来し方行く末に思いを致す余裕が生まれる。著者はこの時期こそ、「回想による相続」の適期だと考えている。

幸福な回想の引き出しを開ける

下山期を迎えると、人はみな物事を忘れていく。そんなとき、記憶の糸口になるものの一つが、「ガラクタ」だ。プルーストの『失われた時を求めて』では、紅茶に浸したマドレーヌの味から幼年時代の記憶が蘇るシーンがある。同じく、自分の手元に残っている品には、ガラクタであっても、回想の糸口がたくさんつまっているものだ。

当時歌っていた歌も、そのときの記憶を引き出してくれることが多い。当時本当に歌われていた曲というのはテレビの「懐かしのメロディ」などではまず紹介されないものだ。そういった意味では、本当に伝えたい歌ほど、記憶の中にあるのかもしれない。

年をとると同じ話ばかりして叱られることが増える。著者もその一人であるが、じつは同じ話を繰り返しているようでいて、詳細がより正確になっていくことも多い。付随していろいろなことを思い出し、回想を整理しているからだろう。

様々なきっかけで、人は記憶の引き出しを開けることができる。過去を何度も振り返っていると後ろ向きだという人もいるが、高齢者の場合、前を向いたら死しかない。だから、幸せだった記憶を回想するのはけっして悪いことではない。過ぎ去った日々を思うと、あたたかいものが心に広がっていく。これはなんと幸福な時間だろうか。

伝える作法、受け取る作法
tomazl/gettyimages

聞いている側は、何度も同じ話をされると、それを指摘したくなるかもしれない。だが、話し手の認知症を予防するためには、根気よく耳を傾け、関連したエピソードを聞いて記憶の幅を広げたほうがよいそうだ。回想は認知機能の改善に役立つことが立証されており、現に認知症のリハビリにも取り入れられている。

何より、人の心に強く残るのは、一期一会の人との出会いだ。著者自身、忘れられない出会いをたくさん経験している。仏教の世界では、師が面と向かって弟子に教えを授ける「面授」が重視される。「こころの相続」もやはり面授でなくてはならない。最近ではインターネットの普及で、面授のチャンスは減る一方だ。しかし、肉声から伝わる感覚は人間の言葉のなかの「命」といえる。

著者は両親の話を聞かなかったことに後悔を抱いている。特に成功談ではなく、負の部分、話したくなかったであろう話を聞いておけばよかったと思うのだ。根掘り葉掘り聞くようなしつこさを持って、繰り返し聞いていく。そしてつい親が話してしまうような失敗談にこそ、生き方の参考になる要素がつまっているものだ。

こころの相続財産をふやす

個人の相続が歴史を創る

こうして見てみると、「こころの相続」には「生き方」を示唆するものが多いようだ。無意識に受け継いだものは、記憶力が落ちても相続されていくことになるだろう。人は誰でも有形無形のいろいろな相続をしている。そして、相続しようと思ってみれば、いくらでも相続すべきものが出てくるのだ。

著者は、親御さんがご存命の方にはぜひこころの相続財産をふやす機会をとってほしいと願っている。そして、お子さんのいる方には、自分の昔の日々を子どもに語ることをすすめている。個人の相続が集まって歴史は創られていく。個人の語りのない歴史はありえないのだ。

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要約公開日 2020.07.07
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