医師である瀬戸崎優司は、もともと感染症対策の専門家として、WHOのメディカル・オフィサーを務めていた。だが仕事に忙殺されるなかで子供を失い、妻とも離婚。スイスから帰国して以降は、大学時代の友人の父が経営する黒木総合病院で内科医として勤務する日々を送っていた。
その頃世界は、中国で行われているワールドカップに熱中していた。日本も中国もともにベスト8まで勝ち上がり、両国の熱狂は最高潮に達している。次の対戦カードは日本対中国だ。だがそんなとき、中国の南西部で強毒性のインフルエンザウイルスが蔓延しつつあるという報告が政府のもとに入ってきた。すでに数千人は死んでいるという情報もある。中国政府もこの異変に気づいているようだったが、その事実は公式には伏せられていた。なんとしてでもワールドカップを成功させたかったからだ。
だがワールドカップが終わるのを待っていると、その間にウイルスが世界中に広がってしまう。総理大臣である瀬戸崎の父は、「新型インフルエンザ対策本部」を立ち上げ、優司に参加してほしいと呼びかけた。一度は断るものの、優司は父の誘いを受けることにする。
第1回「新型インフルエンザ対策会議」にアドバイザーとして呼ばれた優司だったが、閣僚たちの間にはあまり危機感が感じられず、今はまだ対策を講じる段階にないという声が多数だった。
厚生労働省からマンションに戻る途中、優司はなじみのスナックに寄った。珍しく店は満員で、全員が日本対中国の試合に釘付けだ。結局、試合は中国が逆転勝ちした。これにより大量の日本人が、中国から帰国することが予想された。
第2回の対策会議の雰囲気は、前回とはまったく違う張り詰めたものになった。「国際空港はすべて封鎖すべきだ」と主張する優司。受け入れられるわけがないとわかっていたが、そうでもしなければ水際対策などできないという考えだった。当然、閣僚からは反発が続出した。とはいえウイルスの潜伏期間を考えると、最低5日間は隔離して様子を見なければならないのも確かだった。
最後は総理大臣の鶴の一声で、すべての乗客をホテルに5日間隔離することが決まった。乗客からは不満が相次ぎ、マスメディアにも批判的な文言が並んだ。だが優司は強い決意で、明日以降も同様の措置を取ると宣言した。
こうした日本政府の対応について、不気味なほど中国からの反応は薄かった。中国が正式に口を開くのは、ワールドカップが終わってからになるかもしれない。だがそれでは遅すぎる。すでに2~3000人が死亡しているという情報もある。しかし中国は準決勝でイタリアを破り、ブラジルとの決勝に向けて盛り上がるばかりだ。
しかし翌日から突然さまざまな情報が入り始め、中国政府からもその夕方に重要発表が伝えられた。それによると雲南省を中心に原因不明の感染症が広がっており、北京でも複数の患者が確認されたとのことだ。これによりワールドカップ決勝戦は中止となった。
中国の発表を受けて、政府は新型インフルエンザ対策のレベルを引き上げた。強毒性の新型インフルエンザ。WHOがつかんだ情報によると、その感染者数はすでに800万を超えていた。
日本でも本格的に対策本部が設置され、各省庁に新型インフルエンザ対策室が設けられた。優司は厚生労働省の「新型インフルエンザ対策センター」のセンター長に任命された。
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