問いのデザインについて考える前に、そもそも「問いとは何か?」という問いに向き合わなくてはならない。問う行為には、それに対して「答えを出す」という行為がセットで想定されている。問いの設定によって、導かれる答えは変わりうる。これが問いの基本性質の1つだ。
もちろん、問いの役目は、良い答えを手に入れることだけではない。人の思考と感情を刺激するのも、問いの基本性質の1つだ。「考えたい」と動機づけることで、日常で凝り固まった認識を揺さぶるのである。
たとえば、動物園に行って、「ゾウの鼻くそはどこに溜まる?」と尋ねられたらどうか。いろいろと考えた上で、この疑問について誰かと話し合いたくなるのではないだろうか。このように、問いには、集団のコミュニケーションを誘発するという基本性質もある。
問いから生まれるコミュニケーションには、「討論」「議論」「対話」「雑談」の4種類がある。なかでも、固定化された認識と関係性を揺さぶるのは対話である。対話は物事に対する意味づけ、つまり個人の認識を重視する。よって、一人ひとりの暗黙の認識が可視化され、相対化されることで、認識が問い直され、互いを理解するきっかけとなる。
対話を通して問いに向き合う過程で、個人の認識は内省されていく。対話は、個々人の暗黙の前提の違いによる断絶に気づかせてくれる。さらには、自分とは異なる他者の認識について想像を促し、新たな共通認識と関係性をつくりだす。このように、対話を通して問いに向き合う過程で、集団の関係性が再構築されるのだ。
対話によって新たな関係性が構築されるとき、新たなアイデアが創発される場合がある。問いは新たな問いを生み、創造的対話のトリガーともなるのだ。しかし、これが本当に実現できるかどうかは、投げかける問いのデザインにかかっている。
そもそも問いに対する答えとは、客観的な正解ではない。社会構成主義の立場に立つと、私たちが現実だと思っていることは関係者のコミュニケーションによって意味づけられ、合意されたものだけであると捉えられる。たとえば組織でトラブルが起きたとき、第三者が「これが問題である」と断定することはできない。当事者自身が対話を重ねて、現実を再構成するしかないのだ。
問いのデザインは「課題のデザイン」と「プロセスのデザイン」から成る。企業や学校、地域のさまざまな場面で発生する問題は、何を求めればよいかが明確なものばかりではない。むしろ、「漠然としたうまくいかない状況」は認識されてはいるが、そのゴールが曖昧というケースが多い。課題のデザインとは、曖昧な状態にある問題を「解くべき課題」として明確に定義し、関係者が前向きに合意できるようにすることだ。
もちろんそれは簡単なことではない。課題の設定の仕方が自分本位、優等生的といった「よくある失敗パターン」がある。必要なのは、問題の本質を捉え、関係者の思考と感情を刺激することだ。そのためには、いったん予備知識を脇に置く「素朴思考」や、あえて物事を批判的に捉える「天邪鬼思考」などの思考法が有効だ。そのほか「道具思考」「構造化思考」「哲学的思考」も、問題を捉える際に役立つ。
そもそも「課題」とは、関係者の間で「解決すべきだ」と前向きに合意された問題を指す。適切な課題を定義することは、問いのデザインの第一歩だ。しかし、問題の渦中にいる当事者が、目標を適切に設定し、整理できていることはめったにない。課題を定義する際は、次の5段階のステップを踏んでいくとよい。
まずは問題状況の「要件の確認」である。次は「目標の精緻化」だ。具体的には、目標を短期・中期・長期でブレイクダウンし、優先順位をつける。また、成果目標・プロセス目標・ビジョンの3つに整理していく。
3つ目のステップは「阻害要因の検討」である。当事者の固定観念が強固である、または合意形成ができないといった、目標達成を阻害する要因を詳しく見ていく。すると、それが目標修正のきっかけになり得る。
3,400冊以上の要約が楽しめる