近年、人間の心の豊かさに関する概念である「ウェルビーイング(Wellbeing)」が注目を集めている。2015年に国連で採択された「SDGs:2030年までの持続可能な開発目標」では重要な達成目標のひとつとして挙げられており、メディアでも取り上げられる機会が増えている。
ウェルビーイングは、直訳すると「心身がよい状態」だ。「医学的ウェルビーイング」「快楽的ウェルビーイング」「持続的ウェルビーイング」という3つの定義で使われているが、とりわけ2000年代以降には「持続的ウェルビーイング」が注目されている。これは、人間が心身の潜在能力を発揮し、意義を感じ、周囲の人との関係のなかでいきいきと活動している状態を指す。本書でも、「持続的ウェルビーイング」を「ウェルビーイング」として論じている。
ウェルビーイングに関する研究の多くは、もっぱら「個人主義的」な視点に基づいて進められてきた。特に欧米ではこの傾向が顕著だ。だが、集団のゴールや人間同士の関係性、プロセスのなかで価値をつくりあうという考えに基づく「集産主義的」な視点も無視できない。とりわけ日本や東アジアにおけるウェルビーイングを考えるにあたっては、この集産主義的なアプローチが重要となる。個人の身体と心を対象とした欧米型の「わたし」のウェルビーイングだけでは、身体的な共感プロセスや共創的な場における「わたしたち」のウェルビーイングの観点がこぼれ落ちてしまうのだ。
個人の心のなか、人と人のあいだ、コミュニティや社会、そしてネットのなか、という、独立しながらも影響しあうすべての領域を考慮しなければ、ウェルビーイングの総体を捉えることはできない。私たちがいま取り組むべきは、ウェルビーイングの「解像度」を上げることであり、ウェルビーイングとはいったい何なのかを整理しなおすことだ。そうすれば、「わたし」や「わたしたち」にとってのウェルビーイングとは何なのか、どうやってウェルビーイングを実現していくのかが見えてくるはずだ。
心理学者のエドワード・ディーナーらの研究によると、地域文化によって主観的ウェルビーイングの因子が異なることがわかっている。たとえばアメリカ合衆国では、幸福とは個人が自らの能力を駆使することで獲得できるものだと考えられている(獲得型幸福)。一方、日本や中国では、幸福な状態は幸運によってもたらされるとされている(運勢型幸福)。そのため、日本や中国では、よいことが起こった後には悪いことが起こるのではないかという不安が生じる。
幸福観が違うと、世界認識にも差異が生まれる。
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