選手のパフォーマンスには、所属する団体、ライバルなどの周囲の環境が与える影響も大きい。個人が頂点を目指すという視点に立った場合、所属する集団の視座の高低を気にしなければならない。視座が低い集団は、低成長状態でも人を安心させ居場所を作ってしまう。視座が高い集団は、「当たり前」のレベルが高く、いつしか自分の「当たり前」のレベルも引き上げられていく。人は一緒にいる人に影響されていくものだから、自分がこうなりたいと思う人がいる集団を選べばよい。
ライバルは付き合い方を間違えなければ、モチベーションになり、自分の限界を引き上げてくれる存在だ。著者も、ライバルの存在なくしてメダルは獲得できなかったと振り返る。しかし、ライバルの存在を意識しすぎると、自分のやるべきことを見失ってしまうことがある。一番大切なのは自分のやるべきことに集中することであり、ライバルは自分にとってただの風景に過ぎないことを忘れてはならない。
人間は、自分のできないことをやすやすとこなしている憧れの存在をロールモデルに設定し、そうなりたいと努力する。ロールモデルがいるとやる気が出るが、人は自分の苦手分野が得意な人に憧れやすいというところに落とし穴がある。自分の技能が高まってくると、弱みを磨いても人を凌駕するほどにはなれない。どこかの段階で憧れの選手に近づこうとするのではなく、自分本来の特徴を活かすためにどうしたらよいかに集中する必要がある。
著者はコーチをつけないという選択をしたため、自分の姿を客観的に把握し、新しい情報を取り入れるために「質問」を効果的に活用していた。他人に質問して答えてもらうことは、思考を外部に委託しているようなものだ。相手の言葉を受け入れ、自分が変わることを厭わない質問は、自分を成長させ、ひいては答えてくれる他者をも成長させてくれるものになる。それこそがコーチのいない選手に与えられた武器なのだ。
アスリートに必ず訪れる引退のときには、特殊な競技時代の環境から新しい社会の環境に自分を合わせなおさなければならない。勝ち負けが人生を変えるアスリートは、勝敗にこだわる。強い重圧をはねのけるために一つの信念を貫くようになり、結果的にアスリートは決めたことや信じたことを譲らないという性質になりやすい。しかし、ビジネスの世界の勝敗はあいまいで、目的のためにはときには妥協も必要になる。このような環境の違いを意識しておかなければ、アスリートは理想にこだわりすぎて妥協しない、周囲から煙たがられる存在になってしまう。社会とスポーツの違いを認識し、適応期間を耐えることができれば、アスリートの能力は社会でも発揮されるはずだ。
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