学生は無意識のうちに、3種類の「学ぶ姿勢」のうちのどれかに従っている。そして、その勉強の仕方によって、学校から得られるものが決まるのだという。
一つは、とにかく内容を覚え、それを何かに活用するのではなく、ただ試験をパスすることのみに集中している「表面的な学習者」。もう一つは、大学院を目指すために優秀な成績で卒業したと認められることだけを求める「戦略的な学習者」。そして3つ目は、論文の意味を理解し、そのふくむところや実用性について考え、要旨をつかみ、裏付けとなる証拠と結論を区別し、これまでの知識との関連性について考える「深く学ぶ者」だ。
このうち「真のエリート」に共通しているのは「深く学ぶ者」の姿勢である。彼らはまるで宝探しをする5歳児のような熱心さで取り組み、思考力を高める。喜んで未知の仕事を引き受け、困難な問題に取り組む。そして創意工夫を凝らし、予想外の障害を乗り越え、しかもそれを楽しむのである。
一方で、「表面的な学習者」や「戦略的な学習者」は想像力豊かな柔軟性を発揮することはまずない。それどころか、学校が嫌になり、大きな不安を感じ、ふさぎ込むこともある。新しい問題に取り組むのを嫌うことが多く、さらには物理学で「A」の成績を取っているにもかかわらず、運動の法則の概念は理解していない、というような事態に陥ってしまうことすらある。
このように、理解や批判的思考、創造力を養うためには、「学ぶ姿勢」が極めて重要なのである。
著者によれば、「学ぶ姿勢」は能力や性格によって定められるものではなく、誰でも「表面的な(または戦略的な)学習者」になる可能性もあれば、「深く学ぶ者」になることもできるのだという。それでは「深く学ぶ姿勢」を身に付けるにはどうすればよいのだろうか。
それは「外発的動機付け」ではなく「内発的動機付け」を見出すことである。
研究の結果、「表面的な学習者」や「戦略的な学習者」がよりどころにしている成績や報酬や賞といった「外発的動機付け」によって、何だか操られているような気分になると、勉強への興味がむしろ薄まる可能性があることが分かった。勉強に関心がなければ、「深く学ぶ姿勢」にはなりにくい。人は誰もが「重要で面白い」と感じる疑問や問題に取り組むとき「深い学びの姿勢」を取るものだ。しかし学校教育の現場では学生はそんな問題には取り組むことはほとんどなく、戦略的・表面的な考え方を学生に植え付けることになってしまう。
一方、「深く学ぶ者」たちは「表面的な学習者」や「戦略的な学習者」に比べて、学校の成績にそれほど興味をもっていない。
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