日本型組織 存続の条件

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日本型組織 存続の条件
出版社
出版日
2020年06月11日
評点
総合
3.7
明瞭性
3.5
革新性
4.0
応用性
3.5
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おすすめポイント

新型コロナウイルスへの対策においても、国による違いは話題となっている。政府の対応、それに対する民衆の反応や行動。ニュースから流れてくる海外の様子と我が国を比べ、驚いたり感心したりしながら、「外国のやり方を日本も真似すべきだ!」と考える人も少なくないだろう。しかし、ある国がウイルスの封じ込めに成功したとしても、他の国が同じ方法でおさめられるわけではない。

どの国にも、長い歴史の中で育まれた固有の社会構造がある。ある面だけを見て異国のシステムを賞賛し、そのまま自国に移管したところでうまくはいかない。成功したとしても短期的であり、長くは続かないだろう。そのくらい、国の持つ独自の秩序は強く、根が深い。

本書は、日本と日本人の本質を論じ続けた“知の巨人”、山本七平氏による組織・リーダー論である。山本氏が生前行った講演や雑誌の寄稿文を再編したもので、いずれも1980年前後が初出である。40年も経つのにまったく古さを感じさせず、むしろ納得する部分が多い。私たちを取り巻く環境は当時とかなり違うはずだが、日本という国の本質は変わっていないということだろうか。

日本の社会構造の大もとは、鎌倉時代の武家社会にあるという。1000年の歴史は今の私たちの行動様式にまで深く根付いていると、本書を読んで改めて感じた。

日本を知り、日本人を知る。そこから組織をつくっていく。混迷を極める今だからこそ、読んでいただきたい一冊である。

ライター画像
矢羽野晶子

著者

山本七平(やまもと しちへい)
1921年、東京都に生まれる。1942年、青山学院高等商業学部を卒業。野砲少尉としてマニラで戦い、捕虜となる。戦後、山本書店を創設し、聖書学関係の出版に携わる。1970年、イザヤ・ベンダサン名で出版した『日本人とユダヤ人』が300万部のベストセラーに。以後、「日本人論」で社会に大きな影響を与えてきた。その日本文化と社会を分析する独自の論考は「山本学」と称される。評論家。山本書店店主。1991年、逝去。
著書には『「空気」の研究』『私の中の日本軍』(以上、文藝春秋)、『日本はなぜ敗れるのか』(KADOKAWA)、『帝王学』(日本経済新聞出版)、『論語の読み方』(祥伝社)、『なぜ日本は変われないのか』『日本人には何が欠けているのか』『日本はなぜ外交で負けるのか』『戦争責任と靖国問題』『精神と世間と虚偽』『戦争責任は何処に誰にあるか』『池田大作と日本人の宗教心』『渋沢栄一 日本の経営哲学を確立した男』『新聞の運命』(以上、さくら舎)などがある。

本書の要点

  • 要点
    1
    日本の社会構造の基礎は、鎌倉時代の武家社会にある。中国から輸入した律令制に代わり、日本独自のやり方で国を治めた最初の例であった。
  • 要点
    2
    日本の組織は家族関係に似ている。互いが譲り合い、話し合いで物事を決める。その結果を承認することがリーダーの役割である。
  • 要点
    3
    外国の制度をただ模倣しても定着しない。その国が伝統的に持つ秩序を重視し、折り合いをつけることが大切だ。
  • 要点
    4
    13世紀より日本人は、能力第一主義の原則で生きてきた。この行き過ぎを止める役目として登場したのが一揆であり、これは現代まで受け継がれている。

要約

国の存亡を決めるもの

ローマは一日で滅びず
Floaria Bicher/gettyimages

トルコのイスタンブールは、かつて東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスであった。4世紀頃、この町はひどい混乱状態にあった。戦車競技場では年中乱闘が起こり、宗教論争では殺し合いが発生するといった末期的症状であった。皇帝が亡命しかけたことも一度や二度ではない。しかし、これで国が滅びるかと思いきや、それから1000年も存続している。

ローマ帝国は、誰の真似をしたわけでもなく、自分たちの力でひとつの組織を作り上げていった国である。だから、「ローマは一日にしてならず」というだけでなく、ローマは一日では滅びなかった。ダメかと思えばまた立ち直る、恐るべき復元力を持っている。それは、自分たちの伝統的な規範や文化構造、組織といったものが、有機的な関連をもって一体化しているからにほかならない。これらは自分で作り上げたものだから、自分で舵もとれるというわけだ。

一方、外からいろいろなものを輸入してうまく作り上げたような国は、急膨張することはあっても、根がないから簡単に崩壊してしまう。東ローマ帝国を滅亡させた後に中東一帯を支配したトルコは、一時は北アフリカをも占拠し、ウィーンにまで攻め上がった。しかし、衰退期に入ってからも長続きしたローマ帝国と違って600年ほどで瓦解してしまった。

トルコはもともと伝統文化のあまりない中央アジアの民族だった。それがイスラム教をとり入れ、東ローマ帝国の体制をそのまま真似していった。ただ、自分たちの新しい体制を作る能力がなかった。おそらく、本来持っていた基本的な社会構造とあとから輸入した宗教や制度がマッチしなかったため、自分たちでコントロールできなかったのだろう。

日本社会の基礎を作った源頼朝

では、日本の基礎、現在の社会構造の土台になるものは、いつ頃どのようにできたか。それは武家政治がはじまる頃ではないかと推測する。

それ以前の律令制(法律を基本にした政治体制)は中国から輸入した体制であったが、あまりうまくいっていなかった。そこで源頼朝は、日本株式会社ともいえる日本社会の基礎を作った。この「新社」を作った時の原則のようなものが、明治維新まで続いたのだ。

頼朝の時代、朝廷は形式化・組織化していたものの実際は動いていなかった。そこから必要な部分だけを抜き取ったのが鎌倉幕府である。組織として「こうあるべき」というものはなかったが、いちばんの原則と考えられていたのは「話し合い」であった。

当時の争い事のほとんどは荘園争いであり、公平に裁かなければ人望を失う。これをこなしていたのが北条氏であった。北条氏は伊豆の小領主でいわゆる“下っ端”であったが、どうやってその後約130年間も日本を平和に統治できたのか。そのいちばんの原則が、何か問題が起きたら当事者同士で話し合わせることだったのだ。北条氏は、その話し合いの最後に出てきて経過を聞き、結論を肯定するだけである。互いに話し合うことで調整し、第三者がそれを認証する。これが、日本方式の祖なのである。

アメリカ式の限界
scyther5/gettyimages

戦前の日本には『改造』というとてつもなく権威のある雑誌があった。『改造』の巻頭論文は日本を動かすとも言われ、発行部数はトップ。京橋に大きな自社ビルがあり、戦前にアインシュタインを日本に招聘したのは改造社の社長であった。

改造社はアメリカと関係の深い出版社で、2代目社長は戦後いち早くアメリカに留学して経営学を学んだ。帰国してから会社のシステムをすべてアメリカ式に直したところ、たった2年で潰れてしまった。当時の社員は「伝統的に社が持っていた秩序という意識と、アメリカ式の組織という意識が合わなかった」と振り返っている。

アメリカ式とは次のようなシステムである。

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要約公開日 2020.10.23
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