多くの人が新型コロナウイルスの大流行をグローバル化のせいにし、感染爆発がふたたび起こるのを防ぐためには、脱グローバル化するしかないと考えている。しかし長期の孤立主義政策は、真の感染症対策にはならない。むしろ正反対で、感染症の大流行への本当の対抗手段は、分離ではなく協力なのだ。
感染症はグローバル化時代のはるか以前から、膨大な人命を奪ってきた。14世紀、ペストは10年そこそこで東アジアから西ヨーロッパまで広がり、ユーラシア大陸の人口の4分の1を超える人々が亡くなった。1918年に流行したスペインかぜは、第一次世界大戦での戦死者を上回る人の命を奪った。
それ以降の100年間、人口の増加と交通の発達が相まって、人類は感染症に対してさらにぜい弱になったはずだ。ところが実際には、感染症の発生率も影響も劇的に減少している。
21世紀に感染症で亡くなる人の数は、石器時代以降のどの時期と比べても少ない。これは、病原体に対して人間が持っている最善の防衛手段が、隔離ではなく情報であるためだ。
20世紀には、世界中の科学者や医師や看護師が情報を共有し、感染症の流行の背後にあるメカニズムと、その対抗手段を突き止めるようになった。天然痘は1967年の時点で1500万人が感染し、そのうち200万人が亡くなるような感染症であった。しかし予防接種が世界中で推進されたことで、1979年には天然痘の根絶が確認され、世界保健機関が人類の勝利を宣言した。
この歴史は、現在の新型コロナウイルス感染症に対して、何を教えてくれるだろうか。
歴史が教えてくれるのは、国境を閉鎖し続けても自国を守るのは不可能であること、そして真に安全を確保するためには、信頼のおける科学的情報の共有とグローバルな団結が不可欠ということだ。
最も重要なのは、どこであれ一国における感染症の拡大が、全人類を危険にさらすということだ。もし天然痘の予防接種を怠っていた国があったなら、ウイルスは変異し、人類全体を危機に陥れていただろう。
いま人類が深刻な危機に直面しているのは、新型コロナウイルスのせいばかりではなく、人間どうしの信頼の欠如のせいでもある。もしこの感染症の大流行が人間の不和と不信を募らせるのなら、それはこのウイルスにとって最大の勝利となるだろう。
人類はグローバルな危機に直面している。それは私たちの世代にとって最大の危機かもしれない。これから人々や政府が下す決定は、何年にもわたって世界の進む方向を定めるだろう。
この危機に臨むうえで、私たちは2つの重要な選択をつきつけられている。第一の選択は「全体主義的監視か、それとも国民の権利拡大か」というものだ。そして第二の選択は「ナショナリズムとそれに基づく孤立か、それともグローバルな団結か」というものである。
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