佐々木氏は21世紀になって大きく変わったことの一つとして、「セーフティネットが見えにくくなった」ことを挙げている。それまでは「理の世界」と「情の世界」のふたつがあったおかげで社会がうまく動いていた。ところがいま、日本の会社では会社の終身雇用が崩壊してきて、若い人が非正規雇用に追いやられた結果、「情の世界」を維持することができなくなってきている。一方、グローバリゼーションという強力な「理の世界」が日本にも広まってきたことで、日本企業は防戦一方、中には敗退するところまで出てきた。
こうした状況が日本人のセーフティネットを危ない状況に追いやっている。セーフティネットとは「わたしたちがホームレスになったりしないように用意されたさまざまな防御策」という意味だ。国が用意しているセーフティネットには失業保険や生活保護がある。また企業に正社員雇用されるというのも、解雇されにくくなるという意味でひとつのセーフティネット。生活が安定している親や兄弟、自分のパートナーや成人した子どもも、万一というときに助けてくれるセーフティネットと言える。
高度経済成長によって会社が大きくなり、豊かになった結果、終身雇用と年功序列という仕組みが1970年代後半にでき、それから30年近くは会社を中心にしたこの仕組みが維持されてきた。そのため当時は、大過なく残りのサラリーマン人生を過ごし、退職金と年金満額を狙うことが正しい生存戦略だったのである。
しかし2000年ぐらいからグローバリゼーションの波が押し寄せ、経営が悪化した企業は中高年のリストラ、そして新入社員の採用を抑え、非正規雇用を進めるようになった。
そうした中で短期的に保守的になるのはある程度仕方がないことかもしれないが、中長期的にはそれだけでは足りない。いま、自分にとってのセーフティネットとは何か、それをどのようにつくっていけばいいのか、という戦略が求められている。
もう一つの変化は「総透明社会」である。透明というのは、情報技術が発達したことで、何でも見られてしまう社会になってきたということだ。
フェイスブックが世界に10億人ものユーザーがいる理由は、フェイスブックが行ったレストランや旅行の自慢をするためのものではなく、「人間関係を気軽に維持していくための道具」であると同時に、「じぶんという 人間の信頼を保証してくれる道具」でもあるからである。
これまでは会社の名刺がその人の信頼度の物差しになっていたが、フェイスブックはそれを代替しつつある。毎日の日記やコメント、写真や友人関係が、その人の本当の人間性を表わしているからだ。すなわち、肩書きではなく、中身そのもので勝負する時代になってきているのである。
インターネット上でプライバシーをさらけ出すというと非難されることが多いが、完全なプライバシーはもはやどこにもない。それどころか、わたしたちはプライバシーを明け渡して自分の情報を提供するかわりに、自分にとっても有用な情報を見返りにもらっている。
3,400冊以上の要約が楽しめる