2008年2月27日、JAXAが10年ぶりに宇宙飛行士を募集するという記事が飛び込んできた。
未知なる宇宙に魅せられた少年は、航空宇宙工学科のある大学を経て、石川島播磨重工業(現IHI)の宇宙開発事業部に就職。宇宙ステーションに物資を届けるランデブ宇宙船「こうのとり」のプロジェクトに参画するなど、常に宇宙飛行士になることを念頭に置き、進路を決めてきた。その後全力で宇宙船開発に没頭していたが、32歳になってようやくチャンスが巡ってきた。
宇宙飛行士の募集は不定期におこなわれるため、自分の人生のどのタイミングと重なるのかは非常に重要だ。仕事でも経験を積んだ32歳での募集はベストに近い。しかも直前にJAXAに転職しており、試験慣れ、面接慣れもしている。いよいよ運命の歯車が回り始めた。今まで漠然と描いてきた宇宙飛行士として必要な資質をかみ砕き、自分のレベルを数段上げていく必要がある。夢に近づいていくため、一歩一歩階段を登っていこう。
宇宙飛行士選抜試験への挑戦、その最初の一歩は書類選考につながる志願書の記入だ。目一杯の気持ちを込めて、手書きで仕上げた。志願書の記入項目の中で重要なパートは2つある。ひとつは、「これまでの研究/開発業務歴」だ。宇宙船「こうのとり」のプロジェクトについて全力で打ち込んできたことを自信をもって書くことができた。もうひとつは「応募動機」。本気度を見せるために、「宇宙飛行士として人類の有人宇宙開発に貢献したい」という覚悟を力強く字に込めた。応募書類を早々に出し終えたあとは、続いて英語試験をおこない、一次選考の準備をしながら結果を待った。
ところで、宇宙開発初期の選抜試験では、集団から基準を満たす適格者を選び出す「セレクト・イン」が採用されていた。しかし、宇宙飛行士に求める能力が多様化するにつれ、不適格者をふるいにかける「セレクト・アウト」で対象者を絞り込み、最終的に「セレクト・イン」で適格者を選び出す方法がとられるようになっている。書類選考は「セレクト・アウト」試験なのだ。
書類選考で963名のうち、筆者を含めた230名が突破、いよいよ一次選抜が始まる。一次選抜では、2日間をかけて一般教養試験や、数学や物理などの基礎的専門試験、心理検査、人間ドックのような一次医学検査をおこなう。これらの一次選抜はすべて「セレクト・アウト」試験だ。それぞれの項目の基準点をクリアできなければ、ふるいにかけられる可能性が高い。
一次選抜が終わって1カ月、50名まで絞り込まれた合格者の中に自身も含まれていた。いよいよ「セレクト・イン」の段階となる二次選抜に進んだのだ。三班に分かれ、16名のA班に配属となった。7日間かけての各種面接や試験、徹底的な医学検査に挑むことになった。
二次選抜の前半は、何を測られているのか分からない検査や、素の人間性をほじくられたり、深層心理を分析されたりする心理試験、本気度や覚悟を試される専門面接などで構成される。ピンにワッシャを通すような単純作業や、目隠しをしてその場で足踏みをする試験などをおこなっていく。24時間にわたりひたすら尿を集めて検査するというものもあった。
二次選抜の後半には、病院で4日にわたる医学検査が待っていた。身体中の穴という穴を調べられることに加え、身体能力や体力の検査もある。辛い検査やまるで競技会のような体力検査を通じて、A班のメンバー16名の結束力が高まっていく。夢を追って全力を尽くした1週間が終わると、A班のメーリングリストが立ち上がった。そのメーリングリストに、最終選抜に進む10名に自分が含まれることを報告した。
二次選考通過の通知には、筑波宇宙センターとNASAジョンソン宇宙センターで、18日間の長期滞在適性検査や面接などをおこなう、とある。試験開始まで3週間。
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