世界の主要国は今、一様に経済的、政治的国難に直面している。これらの背景には、アメリカはじめ各国が、あらゆる規制を取り払う新自由主義を取り入れ、経済のグローバル化を進めたことにある。
グローバル資本主義の帰結はEUを見ればわかる。EUはユーロを導入し、完全な自由貿易、経済的国境の撤廃を進めたことで、規制緩和も財政出動も、独自の産業政策を行うことも不可能になってしまった。輸出産業で潤ったドイツ以外の国では、経済、特に製造業などの産業が破壊されつつあり、経済が停滞している。勝者であるはずのドイツでも、国内の格差が広がり、低所得者層が増えている。これがヨーロッパの現状だ。
また、現在の韓国の惨状も、IMF(国際通貨基金)改革をはじめとする新自由主義政策の綻びを示している。アジア通貨危機以降も、雇用の自由化などの規制撤廃が進んだ結果、ふつうの会社、ふつうの働き方、ふつうの所得がなくなってしまった。その状況は、高い失業率・自殺率につながった。経済成長率は大幅に鈍化している。
このように、「新自由主義の理念のもと、グローバル資本主義によって経済が成長する」という神話とは全く逆のことが起きている。
新自由主義によって成長が鈍化するのにはいくつかの理由がある。まず、規制なき自由貿易により、経済が過度に複雑になって不安定化することが挙げられる。また、企業は、短期的な成果を出せという圧力がかかるため、長期的な成長を目標とせず、目先のパイの奪い合いに精を出しているということも理由であろう。
市場は国のルールによって統治されて初めて機能する。ガバナンスの存在と適切な規制は不可欠だ。
グローバル資本主義・新自由主義は、社会格差を広げ、国会の自律性を失わせ、経済成長すらも実現させられない。にもかかわらずグローバリズムを支持するエリート層がいる。彼らには、本当に自由貿易、市場至上主義を信じている者と、特定の組織の利益を図るためにグローバル資本主義を推し進めている者とがいる。
グローバル化がここまで進んだ背景には、彼らエリート層を含めた人たちにニヒリズム(虚無主義)が広がったことがあるのではないか。ニヒリズムが人間の欲望を解き放ち、固有のルールで守られてきた各地の伝統文化を破壊して、欲望そのものを基準にした。その破壊はますます人の精神を空虚にしている。
グローバル資本主義については、経済上の問題だけでなく、「善良な社会のビジョンは何か」という倫理的問題としてもとらえていく必要がある。
エリートたちは無為無策を新自由主義の「自由放任」という理論で正当化しているように見える。先進国といっても、国や地域の違いはさまざまで、経済や社会問題への対応はそれぞれ違うはずである。しかし、単一の処方箋を機械的に当てはめようとすることがグローバリズムの問題点なのだ。エリートたちの統治能力は著しく劣化していると言えるだろう。
では、そのような情勢下で日本が進むべき方向はどこにあるのか? そもそもアングロサクソン・モデルとは異質な資本主義のモデルであったはずの日本は、アングロ・サクソンの新自由主義に批判的になり、日本が培ってきたものを大切にするべきだというのが1つの結論である。今の日本は世界の未来を決める実験場のようなものだといえる。
グローバル資本主義を、藤井氏は「国境の意味を低下させた上で展開する資本主義」と定義する。グローバル資本主義が世界で進行すると次の3点のような現象が起こる。
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