インドネシア・アチェ州の村に巨大な津波が凄まじい轟音を立てながら襲いかかったのは、2004年12月26日の朝のことだった。異変に気づくやいなや、人々は追われるように内陸を目指した。家族や友人の安否すら気にかける猶予は一刻もなかった。
海水が引き、不気味な静けさに包まれてしばらく後に、生き延びたアチェの人々は村が消滅したことを知った。多くの人命とアチェの日常のいっさいがっさいを海の彼方へと奪い去ってしまったのは、世界全体のエネルギー消費量80年分に匹敵する途方もない地球の力だった。
そんな極限(エクストリーム)の逆境のなかから、アチェは短期間のうちに立ち直る力(レジリエンス)を発揮して復興を果たしたのだ。そこには私たちが学びとれる重要な教訓があるはずだ。
本書は、再生、失敗、未来という3つの観点から、経済活動の極限で暮らす人々にスポットライトを当てて、経済を動かす力とレジリエンスを比較、考察するものである。
スマトラ島沖地震による巨大津波の被害がいちばん大きかったインドネシア・アチェ。何もかも失ったエクストリーム経済からわずか2、3カ月で立ち直ったレジリエンスの源はどこにあるのか。
昔からアチェでは、ゴールドが信用基盤として貯蓄や保険の役割を果たしてきた。農業や漁業中心の経済では収入が不安定なため、豊作・豊漁の年に買ったゴールドを不作・不漁の年に売って生活費にするのだ。女性が身につけるゴールドは、装身具でもあり、家計の緩衝器でもある。
災害後、いち早くビジネスを再開したゴールド取引業者は、国際相場価格に合わせた適正価格で住民の持つゴールドを買ってまわった。おかげでアチェの人たちは起業に必要な現金をすばやく手に入れることができ、復興への足がかりとなった。
公式経済が破壊されたとき真っ先にレジリエンスの原動力となったのは、国や国際機関の援助ではなく非公式なシステムだったことはきわめて重要な点だ。
国内総生産(GDP)の観点から見ると、自然災害直後の経済は成長する傾向にある。GDPは「いま」の経済活動を測る指標であり、災害後は大規模な再建事業がはじまるからだ。復興プロジェクトが終了すればGDPは急落するのがふつうなのだが、アチェでは援助機関が引き上げたあとの4年間に経済成長率23パーセントを記録した。
「ビルドバック・ベター」のスローガンのもと、最新の設計や素材を活用してインフラを災害以前よりよくする「創造的復興」は、アチェの産業全般の後押しとなった。携帯電話やオートバイ、自家用車の普及は事業環境の好転や暮らし向きの向上に役立った。村民感情も変化し、村の外からやって来た者にも商売の門戸は開かれた。こうした変化がアチェの地域経済に持続的な成長をもたらしている。
経済学者ジョン・スチュアート・ミルは、レジリエンスには人的資本が物的資産以上に重要だと主張した。災害直後にコーヒー店主が再びコーヒー店を、食堂店主が再び食堂を興したように、スキルや知識は津波によって失われることがないからだ。人的資本はレジリエンスの要なのである。
パナマとコロンビアにまたがる熱帯雨林に覆われ、南北のアメリカ大陸と太平洋と大西洋をつなぐその場所に、ダリエン地峡はある。天然資源の宝庫ともいうべき恵まれた立地にありながら、そのポテンシャルは生かされないどころか、国境の概念があいまいで無法地帯と化している。
南米アメリカ大陸を縦断するパンアメリカンハイウェイがこの地で一部途切れており、別名「ダリエン断絶(ギャップ)」とも呼ばれている。そこに位置するパナマのヤビサという町は、かつては河川を利用して首都パナマシティとの直接交易をおこなっていたため、ダリエンの経済中心地として栄えていた。
1980年代になってパナマ当局の敷設する道路がヤビサに到達すると、運搬手段は水上から陸路に取って代わられた。造船業者や乗組員、港で働く者たちの仕事はなくなり、ヤビサは経済のハブとしての地位から転落していった。
仕事を失ったヤビサの人たちには、財産である周囲の自然を切り売りするしか生きる術はなかった。
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