インターネットの夜明けは、日本が戦後復興から目覚ましい経済成長を遂げ、バブル崩壊によって自信を失った時代と重なる。そんな時代に生まれた創世記を彩る数々の経営者たちは、決して天才ではない。インターネット産業の黎明期に登場した藤田晋もまた、人知れぬ苦難を味わってきた。
平凡な人生に違和感を持ち、何者かになりたいという思いをもって育った藤田が、新卒の就職活動で起業家としての修行の場に選んだ企業は、人材紹介や人材派遣業をおこなうベンチャー企業、インテリジェンスだった。新人ながらトップ営業マンの仲間入りを果たした藤田だが、入社1年目の年末に起業へと舵を切る。インテリジェンス社長の宇野康秀は、実質的に経営権のない出資という破格の条件を持ち出して、藤田の起業を後押しした。
新しく立ち上げる会社の事業は、自分の強みである営業と、これから大きく成長するはずのインターネットを掛け合わせ、ネット業界専門の営業代理店と決めた。社名はサイバーエージェント。インターネットバブルと呼ばれる熱狂の時代の中で、サイバーエージェントは急成長を遂げる。そのきっかけとなったのが、クリック保証型広告だ。サイバークリックと名付けた広告サービスを開発したのが、オン・ザ・エッヂの社長、堀江貴文だった。それ以来、二人は絶妙のタッグを組むことになる。
2000年3月には、東証マザーズへの上場を果たしたが、それは最大の危機への始まりとなった。赤字を前提に先行投資をおこなう戦略にインターネットバブル崩壊が重なり、投資家の反感を買ってしまった。株主還元を迫る村上ファンドに、買収を狙うインターキュー(現GMO)。持ち株比率を減らしていた藤田は、自身の経営権を巡る買収ゲームに身を投じることになったのだ。
藤田の窮地を救ったのは宇野だった。関係者との調整をはかるとともに、楽天の三木谷からの協力も取り付けた。こうして、藤田はギリギリのところで踏みとどまることができたのだ。
のちにヤフーの3代目の社長に就任する川邊健太郎が、学生時代にみたインターネットは衝撃だった。そこで、仲間を募って学生ベンチャーである「電脳隊」を立ち上げる。ほどなくして、川邊がその可能性に魅了されたのがモバイル・インターネットだった。電脳隊には、モバイル・インターネットに共感し、未来を切り開こうと模索する同志が集まるようになる。香港で貿易商をしていた松本真尚もその一人だ。電脳隊を中心に同世代の起業家が立ち上げたインターネット会社による大同団結構想がもちあがり、設立された新会社PIMの初代社長に松本が就任した。
PIMに目を向けたのが、モバイル・インターネットに後れを取っていたソフトバンクだ。
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