資本主義の破綻は今や誰の目にも明らかだ。資本は放っておくと果てしなく自己増殖をめざし、人間はその奴隷として働かされるようになる。マルクスはそれを労使の対立構造と捉えたが、今や資本家や企業人そのものが資本の自己増殖本能の奴隷になっている。
資本の野放図な自己増殖が成長の限界を招くのであれば、それを回避するために資本から主権を奪い返さなければならない。
資本主義における「ヒト・モノ・カネ」という生産活動の三大要素のうち、「カネ」と「モノ」はコモディティ化している。経済の主体は「カネ(キャピタル)」から「ヒト(タレント)」へとシフトするだろう。しかもその源泉は資本主義を駆動してきた欲望を超えて、他者にとって価値のあることをしたいという利他的な信念、すなわち「志(パーパス)」だ。
いまグーグルで「purpose」を検索すると、何件ヒットするかご存じだろうか。1999年には30万件だったが、2019年には年間3億6000万件だ。パーパスは経営の世界でももてはやされている。
パーパス旋風は日本でも吹き始めているが、日本企業は古来「志」を軸に活動を行ってきた。資本主義が破綻した今こそその原点に立ち返り、見えない未来に向けて志を貫いていく「志本主義」をめざすべきではないだろうか。
ただし、資本主義の欠陥は無限に自己増殖を繰り返す点にあるとしても、誰もが成長に背を向け、ユートピア的な世界観を求めることには違和感が残る。貧困や食料の枯渇、高齢化、今回のコロナショックへの対応といった社会問題の解決を放置することにつながるからだ。
「脱成長」は魅力的な選択肢に見えるが、未解決の課題に立ち向かい、未来を切り開いていく「志」こそが、今問われているのである。
経営学の父、ピーター・ドラッカーは『現代の経営』の中で、「社会は企業から逃れられない。企業が十分な利益を生みださなければ、社会が損失を被る。企業がイノベーションや成長に成功しなければ、社会が貧困化する」と説く。その彼が「企業の社会的責任を正面から捉えていた」と高く評価するのが渋沢栄一である。
彼は日本に資本主義を根付かせることに尽力すると同時に、「利益拡大」を目的化しやすい資本主義の本質的な弱点にも気づいていた。それに屈しないためにも、道徳と利益の両立をめざす仁や義といった孔子の教えのような、高い倫理観と高い志の重要性を訴えた。
「自利利他」や「三方よし」など、日本では同様の教えには事欠かない。その一見「古風」な価値観は次世代にもつながっている。渋沢栄一の玄孫(やしゃご)にあたる渋澤健氏は、ミレニアル世代を次のように評する。「社会と利益が一緒に得られるビジネスを行いたいときにパッと動ける」かれらの価値観は、「利益の最大化ではなく価値の最大化にある」。
いま世界は、ESG、SDGs、CSVという3つの3文字言葉によって欲望資本主義を超えようとしている。しかしこれらは資本主義の論理の中で答えを出そうともがいているにすぎず、志本主義には到達しえない。
まず「環境・社会・統治」を意味するESGは本来、機関投資家に提言された投資原則だ。投資先のリスクに足をすくわれないための指標であって、これを企業の経営目標にしてリスク回避に走るのは、価値創造に逆行することになりかねない。
大きな注目を浴びているSDGsは、サステナビリティ(持続可能性)の目標を当たり前の項目に限定した、いわば「規定演技」である。その企業ならではの独自性も真の競争優位も、ワクワクするような「志」も感じられない。それに、トップラインは上がってもコストがそれ以上にかかる。
そこで注目なのが、社会価値と同時に経済価値も高めるCSV(共通価値の創造)だ。ただし、これを実現するにはイノベーションの視点が必要となる。
世界最大の食品会社であるネスレは、イノベーションを軸にCSV企業の元祖と目されるようになった。
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