本書は、進化論にかんする専門書や学術書ではない。「進化論と私たちの関係」について考えようとするエッセイ(試論)である。生物の進化は、ふつう生き残りの観点から語られる。しかし、本書はそれとは逆に、絶滅という観点から、敗者の歴史として生物の歴史をとらえようとする。
じつは、生物の世界では、絶滅の方がずっと多い。アメリカの代表的な古生物学者であったデイヴィッド・ラウプは、これまでに地球上に出現した生物種の総数はおそらく50億から500億、現在地球上に生息している生物種は400万種を下らないだろう、と推定した。この推定値で割り算を行うと、99.9パーセントの生物はすでに絶滅していることになる。
40億年という生命の歴史は、ひと握りの生き残りの物語であると同時に、それよりも圧倒的なスケールで起きた絶滅の歴史である。絶滅に着目すると、進化の歴史は「理不尽さ」に満ちている。今私たちが目にする生物の多様性は、理不尽な歴史の産物である。
先のデイヴィッド・ラウプは、生物は、「適応面が劣っていた」ため絶滅したのか、「間違った時期に間違った場所にいた」ため絶滅したのか、つまり「遺伝子か運か」という問いを立てている。ラウプは古生物学上の化石記録や統計データを用いた分析の結果、生物の絶滅のシナリオを「弾幕の戦場」「公正なゲーム」「理不尽な絶滅」の3つのタイプに類型化した。
「弾幕の戦場」とは、はるか上空の爆撃機から雨のように爆弾が降ってくるように、誰が倒れるかは、「運」のみによって決定される状況のことだ。地球の歴史で言えば、天体や隕石の衝突などはこれにあたる。「公正なゲーム」とは、ほかの種との生存闘争の結果として絶滅が起きるというシナリオだ。私たちが「適者生存」の絶滅の原因として思い浮かべるのはこのシナリオだろう。これらの2つのシナリオの違いは、絶滅が選択的であるかどうかだ。弾幕の戦場では運だけがものを言い、公正なゲームでは遺伝子だけがものを言う、ある意味ではわかりやすいシナリオだ。
ところが、ラウプがもっとも重視したのは、そのどちらでもない、「理不尽な絶滅」であった。
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