ナショナリズムの高まりと独裁的な人物への支持拡大が示すように、民主主義にとって危機の時代が訪れている。エリートに対し、労働者階級などのポピュリストは怒っている。人種的・民族的・性的な多様性に対する反発や、グローバリゼーションとテクノロジーの急速な変化がもたらした困惑と混乱も、根底にあるだろう。
この数十年にわたる労働者階級の経済的、文化的地位の低下は、主流派の政党とエリートによる統治手法の帰結である。現前のポピュリストたちの怒りは、歴史的規模の政治的失敗への反応と言える。
失敗の核心は、市場主導型のグローバリゼーションにより不平等を拡大させてきたことにある。不平等の拡大には、労働者の再教育や、受けやすい高等教育、多様性の許容によって対処してきた。
しかしもはや限界である。才能があれば出世できるという「出世のレトリック」は、いまや虚しく響いている。貧しい家庭に生まれたアメリカ人は、大人になっても貧しいままであることが多い。
能力主義の倫理は、勝者にはおごりを、敗者には屈辱と怒りを生み出す。こうした感情が、エリートに対するポピュリストの反乱の核心となっている。
能力に基づいて人を雇うことは本来悪いことではなく、正しい行為であるはずだ。それでは能力主義の何が悪いというのだろうか。
自分の運命は自分の能力や功績(メリット)の反映だという考え方は、西洋文化の道徳的直観に深く根付いている。神は、人間の善に褒美を与え、罪を罰するのだ。
能力や功績の問題は、救済をめぐるキリスト教の議論において立ち現れた。功績による救済はすべて神の恩寵の問題であるという反能力主義が、天職における労働という考え方を生み出した。あらゆる者が天職について働くよう神に召されているのだから、その召命に従って熱心に働くことが救済のしるしとされた。
能力や功績をめぐる議論は、救済をめぐる議論だった。それは、現世の成功をめぐる議論にもつながっている。成功を収めた人々は自力で獲得したのか、それとも自力では制御できない要因によるのだろうか――。成功に対するわれわれの態度は、神の摂理への信仰と無縁ではないのだ。
このような摂理主義は、徹底した支配と制御の倫理を称賛し、能力主義的なおごりを生み出す。おごりは、リベラルで進歩的な政治の際立った特徴でもある。そして、アメリカが偉大なのはアメリカが善良だからという、国家に当てはめた能力主義的な信仰につながっていく。
成功にまつわるわれわれの見解は、救済に対する考え方と同じだ。すなわち、成功とは幸運や恩寵の問題ではなく、自分自身の努力によって獲得される。
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