自分という存在は、自分にとって当たり前のものだ。自分のことでわからないことなどない、と思っている人もいるだろう。しかしそう思ってしまうからこそ、よくよく考えることもなく、「自分はこういうものだ」と決めつけてしまっていないだろうか。自分という存在をあらためて解釈すれば、今まで知らなかった自分と出会えるはずだ。
ここでは、「自分の名前」を解釈してみよう。「そういうものだから」と受け止めるのではなく、主体的に解釈する。
解釈の手段としては、由来を確かめる、「字源」と「語源」を調べてみる、などが挙げられる。字源は字の成り立ちをさかのぼるもの、語源はその意味で用いられるようになった経緯をさかのぼるものだ。
語源をたどると、意外な事実を知れることがある。「大丈夫」という言葉の語源を紹介しよう。中国では成人男子のことを丈夫、特に立派な男性を大丈夫と言った。日本に伝わったときには「立派な男子」という意味だったが、そこから派生して、「しっかりしている」「間違いない」「確かである」などの意味でも使われるようになったのだそうだ。
字源や語源を知りたいなら、書店や図書館で「字源辞典」「語源辞典」を調べてみればいい。もう少し気軽に調べたいなら、ウェブで検索することも可能だ。
名づけ親に自分の名前の由来を聞いたり、字源や語源を調べてみたりして、自分の名前に込められた思いを知り、解釈する。そうすれば、自己紹介とはまた違う、「名前紹介」ができるようになるだろう。
名前は大切だが、あくまで参考資料の一つにすぎない。受け取った名前とともに生きていくのは自分自身である。自分の名前に自分なりの解釈を追加していくことで、名前はもっと愛着の湧くものになっていく。
著者の名前は広太郎である。「広」という文字があるから、広告業界にとどまらない広い視野を持っていたい。「太」という一文字があるから、安定感を意識しながら、「ここぞ」というときには大きな勝負ができる太い生き方をしたい。そう解釈している。
「好き」「嫌い」という感情には、言語化しにくい、感覚的な部分も多いものだ。一方、「好きな人」と「嫌いな人」であれば、比較的イメージしやすいのではないだろうか。「好きだなあ」としみじみ思う人もいれば、「二度と会うもんか、嫌いだ!」と思う人もいる。
自分を解釈するための試みの一つとして、「好きな人」と「嫌いな人」の人物像に名前をつけて、自分の「好き」と「嫌い」を自覚してみよう。好きな人、嫌いな人の具体名を思い浮かべるのではなく、「好きな人」と「嫌いな人」を思い出して、その人物像を言語化していく。自分の感じたことを書き出した上で、有名な物語の中に似たような状況を探したり、何かにたとえたりしながら、「名前をつける」という行為を通じて、自分の感情を俯瞰して見てみる。
著者が開催したワークショップでは、参加者の「好きな人」として「映画版ジャイアン」「実家の毛布みたいな人」などといった表現が挙がった。
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