われわれが生きられる期間はとても短いうえに、与えられる時間はあっという間に過ぎ去っていく。ほとんどの人間は、こう嘆く。だが、われわれの時間は、決して短くない。むしろ、われわれが時間を浪費しているのだ。人生は十分に長く、偉大な仕事をなしとげるに足る時間が、惜しみなく与えられているのだが、それは人生が有効に活用されるならの話だ。贅沢三昧や怠惰ばかりで、有用なことのために費やされなければ、一生が終わるときになってようやく、人生は過ぎ去ってしまうものなのにそれを知らぬまま人生が終わってしまったと気づくだろう。われわれは、短い人生を授かったのではなく、われわれが人生を短くしているのである。
人々は、まるで永遠に生きられるかのように生きている。豊かにあふれる泉から湧いてくるかのように、時間を無駄使いしているうちに、人々は最後の日を迎える。五十を過ぎたら仕事を引退しよう、六十になれば公の役目からも解放されるだろうと、言っている人は多いが、そんなに長生きする保証がどこにあるというのか。善き精神的活動のために、なんの仕事もできなくなった時間、人生の残りかすしかあてがわないのは、恥ずかしいことだ。人生が終わろうとしているときに、ようやく生きることを始めるのでは、遅すぎるのではないか。
生きることから最も遠く離れているのは、多忙な人間だ。多忙な人間は、心が散漫になり、なにごとも十分になしとげられない。偉大な人物は、自分の時間を取り去られることを許さず、自由になる時間が長かろうが短かろうが、すべて自分のためだけに使う。だからその人生はきわめて長い。一方、多忙な人たちは、人生からたくさんの時間を多くの人たちによって奪い去られ、時間がなくなってしまう。
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