「頑張ったら支援します」「やる気のある人を応援します」といった言葉は一般的によく使われる。だがこれは、裏を返せば「もし、あなたが頑張らなかったら、支援はしません」という意味にもなる。つまり、支援が必要な「頑張れない人」を突き放したり見捨てたりする、厳しい言葉になりえるのだ。
一方、現代社会においては、「頑張らないで生きよう」「嫌なことは我慢しない」といったキャッチコピーを見かけることがある。これらは頑張りすぎている人たちへの言葉であって、頑張れない人たちや彼らを支援する人たちは額面通りに受け取るべきではない。支援者が本人の意向も考えず、この言葉を鵜吞みにしたり、苦手なことをやらせたらかわいそうだと考えたりすれば、本人の可能性を奪ってしまうかもしれない。
なんらかの形で頑張らなければ、この社会を生き抜くことはできない。つまり、「頑張らなくてもいいよ」という安易な声かけは無責任なものになりかねないし、相手が直面している課題をどんどん先送りにしてしまうリスクがある。
たとえば、計算が苦手な子に「頑張らなくてもいいよ」と言うとしよう。子どもたちの多くは進んで勉強したいわけではない。そんな中で「やらなくてもいいよ」と言われると、お墨付きをもらったと思い、ますます勉強しなくなるだろう。その結果、どんどん授業に置いていかれ、同級生との会話にもついていけず、孤立したり、いじめに遭ったりするかもしれない。
「無理をさせる」と「頑張らせない」は違う。あとで辛い思いをするのは本人だ。
「頑張る」「頑張らない」以前の問題として、「できる」と「できない」はどう違うのか。できるかどうかは自己評価ではなく、他者評価だ。結果を出して評価されて初めて、「できる」という状態になる。つまり「頑張ったらできる」とは、「学校や会社など、どこかで認められる結果を出す」ということだ。いくらゲームが得意でも、学校や会社などで認められない限り、変人扱いされたり、評価されなかったりする。
ところが、一見無駄な活動に見えても、それがお金になれば評価は一転する。
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