成長に不可欠なのは、「数を忘れるための数」と呼ぶ学習方法である。チェスの世界では、ある程度の基礎学習期間を経ると、戦い方におけるいくつもの原理が統合され、一つの流れとしてとらえる直感が養われる。そうした知識は、最終的には意識せずとも自分の中に根付く。強豪のプレーヤーほど基本原理がしっかりと根付いており、熟達した技術の基礎となっている。チェスの世界で苦労して身につけたこのような能率的学習法は、武術にも適応させることができた。
6歳の時、ニューヨーク・シティの公園でチェスと出会った。賭けチェスで稼ぐ二人のハスラーの正確で軽快な駒の動きに魅せられ、公園のいかつい男たちに混じって快速チェス(短い持ち時間で行うスピーディーなチェス)をプレーするようになる。ある日のプレーを、チェスプレーヤーであるブルース・パンドルフィーニにみそめられ、その教えを乞うた。ブルースは決して子ども扱いすることなく、思考プロセスを自分の言葉で説明させた。そのおかげで、チェス原理の基礎を学び、チェスへの愛情を育むことができた。
発達心理学の研究をリードするキャロル・ドゥエック博士は、人々の知能に対する解釈の違いを「実体理論」と「増大理論」とに区別する。実体理論者の子どもたちは、成功や失敗の理由を、変えることのできない自分の能力のレベルにあるとする傾向が強い。知能や技術は固定された実体としてとらえられる。一方、増大理論(習得理論者)の子どもたちは、一歩一歩進むことで漸次的に能力を増大させることが可能だという感覚を持つ傾向がある。ドゥエック博士によれば、難しい課題に直面したときに自らの能力を向上させる可能性は、習得理論者の方がはるかに高いという。
子どもが知性のあり方をどのように解釈するかは、親や教師が重大な責任を負っているが、学習へのアプローチはいつでも改善できる。少年時代にチェスで成功した一因には、教師のブルースとエンドゲームを学んだことがある。ここでは、盤上にキングとポーンに対してキングのみという3つの駒だけのシンプルな状況から始めた。このように明確な局面を教材にすることで本質的な要素に焦点が当たり、知識と直感と創造性の間を行き来しながら学習を進められた。
一方、当時のライバルたちの多くはオープニング・バリエーションを学ぶことからチェス学習を始めている。オープニングでは相手の目を欺く罠を仕掛けやすく、それを使って簡単に勝てることから、オープニングから教えたがる指導者も少なくない。このバリエーションを暗記することから始めた子どもたちは結果がすべてになるために実体理論者になりやすく、ゲームが進むほど苦しむという弱点をもつ。
この傾向はどんな分野であっても、頂点を目指す限り遭遇する根本的な問題である。敗戦の失敗は苦痛であるが、同時に成功するための方法を教えてくれる。失敗も含めて学ぶことを心から楽しめたから、道を逸れることなく前進し続けることができた。
何が起きても思考を止めず、クリエイティブな発想が紡ぎだされる精神状態に踏み出すための最初のステップは、スポーツ心理学でいうところの「ソフトゾーン」に入ることだ。気を散らされまいと神経質になって指で耳を塞ぎ、身体を硬直させるといった「ハードゾーン」はとても脆く、圧力を受けるとすぐに折れてしまう状態を指す。一方ソフトゾーンは、静かに深く集中し、一見リラックスしているように見えても心の中では精神的活力に溢れている状態を指す。
気の散りやすい10歳の少年だったころ、大人の大会に出場するようになると、6時間から8時間の長時間集中を保つ必要が出てきた。しかし、試合中の頭の中をボン・ジョヴィの音楽が支配して考えることができなくなり、敗戦を喫したあたりから、次第に会場の雑音まで気になり出した。
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