現代社会は、不合理なものを敬遠する傾向がある。それは科学における還元主義(複雑な事象を分解して、各部分を調べることで全体を理解しようとするアプローチ)が信用されているからだ。
たとえば仕事と休暇の関係を考えてみたい。現在のアメリカ人の半数以上は、通常の休暇である2週間にくわえて、もう2週間多く休みがとれるのであれば、お金を払うことをいとわない。休暇が2倍になるなら、4%の報酬カットを受け入れるだろう。これは経済学上、ロジカルに思える。
だが本当にそうだろうか。休暇を増やせば、余暇が増えて消費が喚起されるとともに、時間当たりの仕事の生産性も上がるかもしれない。経済全体としてプラスの効果を得られるならば、わざわざ休暇と報酬を交換しなくてもいいはずだ。実際、ヨーロッパの国々は1カ月以上のバカンスをとっているが、高い生産性を維持している。
このように現実は複雑なシステムで動いている。だから一見正しいロジックを超えた解決策が無数にあるのだ。
これまでロジックは人々を魅了し、整然とした経済モデルやビジネス事例、技術的なアイディアなど、数多くのものをつくりあげてきた。それらは「複雑な世界をコントロールできている」という有能感を与えてくれる。しかし科学的な方法論を重視するあまり、非合理的で魔法のような解決策が考慮されていないのではないか――これこそが本書が掲げる問題提起である。
伝統的な経済学者にとっては非論理的に思える策であっても、成功している例は枚挙にいとまがない。一見非合理的な解決策は、ほぼすべての問題に潜んでいる。それにもかかわらず、人はそれを探そうとしないのだ。なぜならロジックに心を奪われすぎているからである。
人の行動には、「表向きのロジカルな理由」と「心理(サイコ)ロジカルな本当の理由」の2つがある。たとえば「歯磨き」を、「虫歯にならないためにするもの」と考えるのは、ロジカルな表向きの理由だ。だが、ほとんどの歯磨き粉にミントの味がするのはなぜだろうか。もしかすると、これが歯磨きをする真の理由なのかもしれない。
現実社会は私たちが思っているほどロジカルなものでない。たとえばレッドブルはあえておいしくないドリンクを、スターバックスは5ドルもするコーヒーを販売している。これらは当初、不合理な戦略だと考えられていた。しかしその結果がどうなったかは、あらためて語るまでもないだろう。
効率性を追求すれば、よい結果が得られるというわけではない。「ドアマンの誤謬」と著者が呼ぶ考察が、それをうまく表している。
ドアマンの基本的な役割を、「ドアを開けること」と捉えることにしよう。その場合、自動ドアを取り付けるだけで、経費削減や効率性アップに貢献するはずである。しかし現実はそう単純にはいかない。というのもドアマンは
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