スマホカメラを通して、ノルウェーでトナカイを育てている人や南アフリカでカゴを編んでいる人の暮らしをのぞき、その人の人間性にふれる。そうした新鮮な体験を通して私たちのものの見方や価値観を変えてくれるのがインスタグラムであり、インスタグラムは世界をより深く理解せしめる鏡なのだ――そう語るのは、ハッシュタグを考案した技術者、クリス・メッシーナである。そして、そうした世界観こそ、インスタグラムの創業者、ケビン・シストロムとマイク・クリーガーがめざしていたものでもある。
ふたりは、ユーザーが思わず見入ってしまうような体験を大切に考え、それゆえに対象物をさまざまな角度からとらえなおして編集加工することをよしとした。彼らは、インスタグラムは多様な視点や創造性を生み出す場であるべきだと考え、写実性より願望や創造性を優先させたのだ。山のような通知やメールがこないのも、投稿にハイパーリンクを貼ったり他人の投稿をシェアしたりすることができないのも、すべてそうした理想があったからだ。
シストロムはずっと写真に興味を持ち続けてきた。彼にとって写真とは、自分には世界がどう見えているのかを他の人に見せられる媒体であり、世界の新たな見方を提示できる媒体でもあった。フェイスブック・ドット・コムを創業したばかりだったマーク・ザッカーバーグの誘いを断って留学したイタリアでは、カメラやレンズの性能の良さが作品の良し悪しを決めるのではないことを学んだ。不完全な正方形の写真を編集することで芸術作品に仕上げるという発想はこのときに得たものだ。
2007年にアップルがiPhoneを発売すると、インターネットは日常の一部になった。シストロムは、だれもがスマホをポケットに入れて持ち歩き、アマチュアカメラマンのごとく写真を撮る日がやがてやって来ると考えた。そこで、クリーガーとともに開発を進めていたiPhone用のアプリのキラー機能として、写真を選んだ。
インスタグラムは技術よりシンプルさを優先させた。キャプションなどを添える必要はなく、撮った写真をアップロードするだけ。フィルターで編集加工できるので、写真を撮るのがうまくなくても大丈夫だ。編集機能のおかげでインスタグラムの投稿写真は一種の芸術となり、人気を博すようになった。
インスタグラムをツイッターに売らないか――そう持ちかけたのは、シストロムが学生時代にインターンをしていたときのメンターで、ツイッターの初代CEOを務めたジャック・ドーシーだった。創業者らから声をかけられて、一般公開前のインスタグラムを使っていたのだ。
しかし、当時ツイッターのCEOだったエバン・ウィリアムズが首を縦に振らなかった。インスタグラムの写真などしょせん芸術家気取りのくだらないものばかりで、ツイッターのように、ニュースになって世界を変えるような投稿などないと侮っていたからだ。ドーシーにとって、これはインスタグラムを盛り上げる動機になった。
2010年10月、インスタグラムが一般公開されると、ユーザー登録数は初日に2万5000人、1週間で10万人を達成し、あっという間にメガヒットとなった。シストロムが、バスで見知らぬ人がインスタグラムを使っているのを見かけ、不思議な感覚を覚えたのはこのころだ。
インスタグラムが成功したのはモバイル革命という恵まれたタイミングに生まれたからだとよく言われる。だが、それだけではないだろう。写真というたったひとつのものを極めたこと。シンプルにこだわり、ユーザーが体験に集中できるようにしたこと。テクノロジー業界の他社の強みをうまく活かしたこと。そうした選択の結果なのだ。
写真系アプリはほかにもたくさんあったが、インスタグラムの人気の秘訣は、技術よりもユーザーの心理面にあった。フィルターを使って写真を芸術的な一枚に仕上げ、それらを並べて見ると、ユーザーの自分自身に対する考え方が変容するのだ。そして、社会と自分の関係もまた違って見えるようになる。
インスタグラムを使う人はどんどん増えていた。アクセス急増でサーバーが落ちると、クリーガーのiPhoneにアラートが届くように設定していたが、彼は夜中にたびたび起こされるほどだった。
2011年夏、インスタグラムの利用者は月間600万人になった。ツイッターやフェイスブックに比べれば足元にも及ばないが、そこまでに要した期間は圧倒的に短い。
立ち上げからわずかな期間で大きく成長できたのは、先行SNSにうまく乗じることができたのもあるが、やはり著名人たちがユーザーになってくれたのが大きいだろう。若者に大人気のポップスター、ジャスティン・ビーバーがインスタグラムを使い始めたときなどは、彼のファンたちがこぞって登録したおかげで、クリーガーのアラームが鳴り止まなくなってしまった。
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