他人に気をつかいすぎる。人目を気にする。批判・否定されるのが怖い。まわりを失望させたくない。自分に自信が持てない。嫌われるのが嫌で無理してしまう。子どもの頃から自分の意見を押し殺してきた……ここからうかがえる人物像は「自分よりも相手(他人)を優先するいい人」である。しかしその本質は「いい人でいようという意識の強い人」であり、しばしば「都合のいい人」と軽んじられてしまう。
「いい人」になろうとしすぎると、自分らしさがなくなっていく。「便秘気味だから野菜中心の料理が食べたい」と思っていても、友人が「やっぱ焼肉だよね!」と言えば、「いい人」のあなたは笑顔で賛成するだろう。無理して焼肉に行ったとしても、メリットといえば、その日嫌われずに過ごせることくらいだ。
相手を優先するあまり自分が不在になってしまう状態を、著者は「幽体離脱」と呼ぶ。幽体離脱の間、あなたは自分の魂を置き去りにしている。離脱していた魂が自分に戻ってくると、その間に感じていた感情がどっと戻ってきて、ぐったり疲れてしまうだろう。
幽体離脱の原因は、相手との距離がうまくはかれていないことにある。自分と相手の間の線引きができず、いつも人間関係に疲れている人は驚くほど多い。
自分を殺しながらコミュニケーションを続ける人は、「正解」、つまりコミュニケーションスキルに目を向けがちだ。私たちは試験勉強などを通して「正解を求める」癖がついてしまっているのだろう。
あるとき著者のもとに、1人の女性が相談にきた。彼女は自分の状況を的確に表現できる聡明な人であったが、人とコミュニケーションがうまくとれないのだという。仕事では大勢の前でプレゼンをしたり、取引先に商品説明をしたりすることもできるが、プライベートになると何を話していいのかわからなくなるそうだ。著者は意外に感じたが、たしかに仕事とプライベートにおいて、求められるコミュニケーションは異なる。仕事では「何を話すべきか」が明確に提示されているからうまくいくのだろう。
巷にはコミュニケーションのテクニックやマニュアルが溢れている。しかしこうしたスキルは、数ある模範解答のひとつにすぎない。正解やスキルを学ぶよりも自分に自信を持たせることを優先したほうが、ずっと有意義である。
人との距離感がわからず、つい入り込みすぎてしまったり距離を置き過ぎてしまったりする……これはバウンダリー(心の境界線)がわからない状態かもしれない。バウンダリーは通常、幼少期からの人間関係で培われるもので、親子関係に問題があったり、いじめにあったり、大切な人を失う経験をしたりすると、バウンダリーがわからなくなることがある。この問題は、同僚や友人、恋人、家族との関係性など、さまざまなところに現れる。
疲れない人間関係をつくるには、まずは「私は私、他人は他人」という意識でいるようにして、相手との間に明確な線を引くことだ。これを「自分軸」と呼ぶ。これに対して、相手を気にしてしまう状態を「他人軸」という。幽体離脱をしている人は、典型的な他人軸にいる人だ。
自分軸でいると、相手より自分を大事にするため、「譲れるもの」と「譲れないもの」がはっきりする。相手からきついことを言われても、自分軸にいれば「そんなふうに思っているんだ。でも、それは仕方ないことだから」とスルーできて、心が疲れない。
そもそも、安心感は人からもらうものではない。相手からもらう安心感は他人軸のものであり、その安心感は「いつか自分から離れていくかもしれない」という恐怖と表裏一体のものだ。本当の安心感は自分軸でいるときにのみ得られるものだと理解しよう。
他人軸にいる人は、主に次の3つのパターンに分類できる。
1つ目は、「NOが言えない気をつかう人」だ。相手から拒否されることを恐れるあまり、イエスマンになってしまう人である。
2つ目は、「YESが言えない自分がない人」だ。「NO」は言えてもその理由がわからない。「晩ごはんはなんでもいいよ」と言いながら相手の提案にことごとく「う〜ん」と渋るような人は、このタイプだ。
3つ目は、「YESもNOもわからず流される人」だ。「私はどんな仕事が向いていますか?」などと周囲に尋ねるが、「○○じゃない?」と言われてもしっくりこない。
自分軸がない人は、嫌われるのが怖い、ゴタゴタは嫌だと思っているため、損な役割を受け入れることになる。その結果、相手から「都合のいい人」として大切にされ、さらに自分軸を見失っていく。
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