「夢」という言葉は「人生の目的」に近い意味で使われ、生きる目的は自分の夢を叶えるためだといえる。著者にとっての「自由」の定義は、「自分が思い描く夢に向かって、少しずつ近づいていく行為、自分がやりたいことを実現する過程や状況」だ。「夢」があり、そこに向かってアプローチする行為、「自由」があれば、それは同時に「幸せ」でもあるだろう。
これまでの著作のなかで、著者は「本当に望んでいれば夢は必ず叶う」と繰り返してきた。「諦める」とは真逆の行為ではないかと思われるかもしれないが、そうではない。ただぼんやりと「あんな生活したいな」と呟くだけでは、「望んでいる」ことにならない。本当に「望む」なら、なんらかの行動が伴うはずだ。
自分の時間と労力を使ってなにがしかの行動を起こし、継続すれば、夢は必ず叶う。少なくとも、目的に近づくことはできる。「諦める」とは、その夢に向かう行動を断念することだ。ここから「諦めなければ、夢は叶う」という法則が生まれる。夢が叶う前に死が訪れるかもしれない。その場合でも、一生夢を追いかけ続けたことになり、夢を叶えるのと同じくらい自由で幸せな人生となるだろう。しかし、多くの人は「行動」していない。その程度の「望み」では、夢はちっとも叶わない。
「諦める」とは、目的へ向かう行為をやめることだ。諦める対象は「目的」自体と「目的に向かう方法」の2つに大別される。夢そのものを諦めるのは、自分には実現不可能だと判断する場合がほとんどだ。このような事態に陥ってしまうのは、最初の評価が甘かったということになり、精神的痛手となる。できればこのような「諦め」はしたくないものだ。
目的に向かう方法を諦めることは、夢を断念することではない。方法を変えない限り目的達成が困難であると予測し、新たな方法を模索することである。途中でその方法を諦めることもあるし、無駄になるものもある。やりかけのものを無駄にしたくないという気持ちが膨らむほど、諦めるのは難しくなる。
人生では何度も「何を諦めるのか?」という選択をしなければならないときがある。
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