本エッセイが連載されていたのは、新型コロナウイルスに翻弄された1年だった。2020年、人々は大きすぎる物語に翻弄された。みんなが同じウィルスに襲われ、同じ不安におびえ、同じ物語に取り巻かれた。そこでは、個人は群れの一員と化して、本当はそれぞれにあったはずの、小さな物語をかき消してしまう。
心とは何か。コロナ禍でそうした根本的な問題を考えるようになった著者は、改めて心理学の事典で「心」について調べてみた。ところが、図書館に置いてあった多くの事典を見ても、「心」という項目は存在していなかった。唯一見つかった定義は、「体・物の反対」だ。心は否定で定義されている。つまり、物質的な問題を解決してもどうにもならないとき、はじめて心の問題に目がいくということなのだろう。
描くべきだったのは、「コロナ禍での心」ではなかった。問題は、心が存在しないことだったのだ。心はコロナの1年に消えたのではない。この20年で、小さな物語が少しずつ浸食されてきたのだ。心はどこへ消えた?
説明をシンプルにするために、1999年以前を「心の時代」としておこう。かつて心はキラキラとしていた。河合隼雄という臨床心理学者は「物は豊かになったが、心はどうか?」と問いかけ、多くの共感を呼んだ。臨床心理学も大人気で、著者が臨床心理学を学ぼうと決めたのはこの時代の終わりだった。
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