本編は、まなほさんのこんな語りから始まる。はじめは自分がしてあげたいという純粋な気持ちからやっていたことでも、続けているうちに見返りが欲しくなってしまう。これは人間として当たり前のことなのだろうか。
これに対して、寂聴さんは当たり前かもしれないが、そう開き直ってしまったら、関係は長く続かないだろうと答える。本当の愛情は「あげっぱなし、与えっぱなし」になり、それに見返りを求めるのはちょっと卑しい。見返りを求める愛情を、仏教では「渇愛」と呼び、強く戒めている。見返りやお返しを求めない愛情は「慈悲」だ。仏教の極意は慈悲に尽きる。「慈」とは人に楽を与えることで、「悲」は人の苦しみを抜き去ることだ。仏様は何の見返りも求めない。それこそが本当の愛情なのだと寂聴さんは説く。
人にわかってもらえないと感じたら、自分が相手のことをわかろうとすることが大切だといわれることがある。どうしたら相手が理解できるのかとまなほさんは尋ねた。
寂聴さんの答えは、「本当に好きな相手だったら、その人のことを理解しようとするまでもなくわかる」というものだ。本当に好きだったら、相手のイヤなところも許してあげられる。「どうしてわかってくれないのだろう」と思うのは、相手のことがそんなに好きではないのだ。好きになるというのは、ダメなところも含めて好きになるということだ。
まなほさんは、無理してわかってもらおうとするのではなくお互いが自然にわかり合える関係が「気が合う」ということなのだと納得する。恋人でも友人でも、気が合うとは、自然とそうなっているということなのだろう。
まなほさんは寂聴さんに、恋愛について質問する。先生はよく「いくつになっても恋愛をしなさい」というが、それは人にとってどんな意味をもつのか、と。
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