気遣いと料理は似ている。焼肉やお寿司などのごちそうが、いつも最高のおもてなしになるとは限らない。相手の体調や好み、季節に合わせた食材や調理法で料理するからこそ、ごちそうになるのだ。風邪を引いて体調が悪いときはおかゆが欲しくなるし、夏の暑い日にはさっぱりとしたサラダが食べたくなる。高級食材を使った手の込んだ料理であっても、食べる人のことを考えていなければ、喜んでもらうことはできない。気遣いも同様だ。いつもこれだけやればいいという正解はない。相手に合わせて、臨機応変に対応する必要がある。同じ人でも元気なときと落ち込んでいるときにかけるべき言葉は異なる。
料理が苦手な人でも、ちゃんと学べば食べる人に合わせた料理ができるようになる。同じように、人間の心理を知ることで、いい関係を築ける気遣いができるようになるはずだ。
あなたにとって一番大切な人は、どんな人だろうか。きっと、あなたに愛と気遣いをくれる優しい人ではないだろうか。言い方を変えれば、相手に対する愛や気遣いがあれば、相手から愛され、必要とされる人になれる。人は、仕事、チャンス、お金、運を運んでくれる。気遣いは、人生を一変させる力にすらなるのだ。
粋な気遣いは、相手を気遣ったあとに何も残らない。
カレーの隠し味にインスタントコーヒーを使ったとしよう。そのカレーからコーヒーの香りが立ちのぼってきたら、もはやカレーとはいえない。隠し味はその食材が主張しないからこそ美味しいのだ。自分の親切に気づいてほしいと思うことは、コーヒーの香りがするカレーのようなものだ。「自分を見て」という承認欲求があると、気遣いは台無しになってしまう。
著者が通う料理教室の先生は、道端に落ちているゴミを見つけると、拾って片づける。誰の目に触れることもなく、感謝もされない。ただ「気持ちのいい空間になった方がいい」という思いから生まれた行動である。
見返りを求めない気遣いは、粉雪のようなものだ。綿菓子は、見た目は雪のように白くてフワフワしている。しかし、さわると手がベタベタになる。
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