人生の意義は、青少年時代の志の立て方に比例すると言っていいだろう。
無限にある人生の意味をどれだけ深く自覚し、またその意味にどれほど早くから気づくかによって、人間の価値は定まる。
日本の教育において、昔から「立志」の問題が最も重視されているのはこのためである。極論すれば、教育の究極の意義はこの立志にある。
逆に言うと、真に志が立ったならば、ある意味ではもはや教えられることはない。ひとたび志が立てば、本人に必要な一切の知識は、本人が自ら求めてやまないものだからだ。
志は、人はいかに生きるべきか、人はどのような人生を貫くべきかという普遍的な問いを、自分自身に問いかけるところから生まれる。二度とない自分の人生をいかに生きるのか――。その根本的な目標が定まったときに、私たちの真の人生は始まるのだ。
40歳前後をもって、人生の折り返しと考えるとすれば、20歳までは志を立てる時期と言ってよいだろう。言い換えれば、将来どのようにして国や社会のために役立つ人間になるのかという志は、15歳頃から、遅くても20歳までには確立しなければならない。
そしてそれからの20年間は、準備期と言ってよいだろう。この20歳から40歳までの20年間の準備の首尾が、後半生の活動を左右する。
物事の対象はどうあれ、準備には長い時間を必要とする。しかし、実行の段階になるとその何分の一かの時間ですんでしまう。たとえば食事を用意するには1、2時間、あるいは数時間の手間がかかるが、食べる段になると10分、15分しかかからない。同様に人生においても、よほど早くからしっかりと考えて準備をしておかなければ、手遅れということになりかねない。
人間もほんとうに花が開きだすのは、40歳くらいからだ。そしてそれが実を結ぶのは、60歳辺りになるだろう。
人生は二度とない。人生は、ただ一回のマラソン競走のようなものだ。勝敗の決は一生にただ一回、人生の終わりにあるだけだ。しかしマラソン競走と考えている間は、まだ心にゆるみが出る。人生が、50メートルの短距離競走だと分かってくると、人間にも凄味が加わってくる。
真の読書とはどのようなものだろうか。
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