「ハブられる」という現象は日本特有のものではない。しかし、国際的に見て、等質性の高い「日本人」という集団では、「私たちはみんな同類である」という幻想を抱く人は少なくない。
この「同類幻想」は、ときに悲劇的な展開を生み出す。同類幻想のせいで、異質な少数がのけ者にされたり、同調できないと変わり者扱いされたりすることがあるからだ。
「ハブられる」は、知らぬ間に裏で進行していることが多い。表面上は穏やかな人間関係に見えていたが、気がついたら自分だけ排除されていたという具合だ。ハブられている本人が気づかない場合もある。「根回し」という言葉があるように、裏で起きているコミュニケーションを知らないと、いつの間にかハブられているということも起きかねない。
ハブられると、悲劇の主人公を演じさせられることもある。集団から排除されてしまった自分、こんな自分はいなくなればいい――。このような思考に陥ると、自分だけが潔く去ることになってしまう。
実は、日本人の文化の中には、こうした悲劇の主人公を演じさせるような「台本」がすでにある。潔く去っていくという結末が「みんなの物語」として用意されているのだ。そのため知らず知らずのうちに、多くの人が悲劇の主人公のパターンを踏襲してしまっている。
この物語を書き換えるには、見えにくい現象を可視化しなければならない。そして、自分が排除の対象になってしまったら、その物語の舞台から降りることが大切だ。
ハブられている人たちは、突然迷子になってしまったような心境に陥る。今まで仲間だと思っていた人たちが、自分をのけ者にして裏でつながっていた。もう誰を信用していいかわからない……。一人で悩んで考え込む、「一人芝居」を舞台上でくり広げているような状態である。
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