メタバースは「サイバー空間における仮想世界」とでも表現できるだろう。ここでの「仮想世界」をどう捉えるかでメタバースの印象は大きく変わる。
仮想世界を「仮想現実(Virtual Reality:VR)」と脳内変換すれば、TVアニメ「ソードアート・オンライン(SAO)」や映画「レディ・プレイヤー1」のような、VRヘッドセットをかぶってアクセスし、完全にその「現実」へと没入できる世界をイメージするかもしれない。しかし、メタバースの世界的なスタンダードは、「現実をそっくり志向する『疑似現実』」である傾向が強い。そこでは、視覚や聴覚だけでなく、触覚、嗅覚、味覚も加えた体験が目指されている。
であれば、VRの次は拡張現実(Augmented Reality:AR)へと広がっていくことがわかる。「現実と仮想を混ぜてしまえばよい」からだ。日常風景の中にゲームのキャラクターを乗せる、スマホゲームの「ポケモンGO」に代表されるように、ARはすでに日常生活に入ってきている。
一方でメタバースには、前述のアニメや映画のように、「現実とは違うもう一つの別の世界を作ろう」という方向性もある。
本書では、「現実とは少し異なる理で作られ、自分にとって都合がいい快適な世界」を、メタバースと呼んでいる。メタバースが注目される背景を理解するために、少し社会構造の変化を整理しておく必要がある。キーワードは「大きな物語」と「ポストモダン」だ。本書では前者を「みんなの価値観が狭いレンジにまとまっている状態」、後者を「それがほどけた状態」と定義している。
大きな物語には人生観やジェンダー観といったものも入る。そうした価値観がほどけて、社会が多様化した結果、私たちは自由を獲得した。しかし、自由を得たことで責任がついてきた。自分の居場所を自分で確保し、守る必要がある。能力や資源に恵まれなければ割とつらい社会だ。
そして、一人一人の考えていることが大きく異なるようになった。「自分と同じ意見、同じ趣味を持つ小集団」で自身の承認欲求を満たすことは、現実世界では難しくなる。SNSとは、インターネット上の「小さな空間に同じ属性の人を閉じ込めて、世界を作る」技術だ。SNSはフィルタリングを重ねて利用者を囲い込み、その囲い(フィルターバブル)の中で共感の場を演出する。自分と違いすぎる他者との接触を回避させる。
しかし、SNSは世界として未完成だ。人の可処分時間を奪いきれていない。仕事や食事、睡眠時間も含めたほとんどの時間を過ごせるようになれば、その完成した世界こそが、メタバースだ。健全かどうかはさておき、確実に求められている。
そしてこの分野には、「日本ならではの成功の形がある」と著者は考えている。
「フォートナイト」で知られるゲームメーカーのエピックがアップルと全面戦争を始めたことで、IT業界に激震が走った。
アップルが運営するアップストアにアプリを出すと、そこでのすべての取引についてアップルにみかじめ料を支払う必要がある。エピックは、より安価な決済システムを構築してユーザを誘導した。規約違反で登録抹消となりながら、アップルの独占的な地位と高額な使用料に挑戦したのだ。
エピックはグーグルにも同じ戦いを仕掛けている。なぜ、ゲームメーカーに過ぎないエピックが、インターネットの巨大企業2社を同時に敵に回せるのか。
その秘密は、フォートナイトが「もう一つの世界:メタバース」として機能し始めていることにある。ユーザー同士のコミュニケーション機能が優れ、建築物やルールを自分で作れるクリエイティブモードにより、ゲーム内にユーザー独自の世界を生み出せる。著名アーティストのコンサートも開催された。エピックは、メタバースを作るのに必要不可欠なゲームエンジンも持つ。
「リアルに似ているが、リアルより少し美しく、都合のよい世界」は「リアルではできないこと、リアル以上に楽しいこと」で満たされている。「自分が活躍したり、寛いだりする場所は、必ずしもリアルでなくていい」というほど、メタバースは現実化しつつある。
よりリアルな社会に近づけて、社会の変化の波に影響を受けやすい弱者の文学であるサブカルチャーから、メタバースの萌芽を拾ってみよう。
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