最高の教養を身につけるには永年の努力が必要だ。毎日、仕事に追われる時間の中からなんとか時間をひねり出す以上に、はるかに多くの時間を費やして努力せねばならない。しかし、どんな階層の人でも、男でも女でも、生まれながらにして大きな能力を備えた人は、知的と呼ぶにふさわしい考え方をするようになる。
知的生活の真髄は、科学的であるとか、表現方法が完璧かとかではなく、常に程度の低い思考より高度な思考のほうを採ることにある。このような態度は、必ずしも知識量の多さに比例しない。科学がほとんど進歩していなかった古代でも、知的に生きた人々が多くいた。人を知的にするのは知識の量ではなく、生き生きと、美しくものを考えることに喜びを感じる一種の徳なのだ。
知的に生きることとは、何かを成し遂げることであるより、高邁で純粋な真理を求める精神状態のことである。それは、より大きな真理とより小さな真理との間や、完全に正しいものと正しいと言ってよいものとの間で、常に毅然と高貴な選択をすることだ。
ドイツの哲学者・カントは健康維持の名人であった。夜に気持ちよく寝具にくるまっていると「自分より健康な人間がいるのだろうか」と、我が身の健康を喜んでいたのだという。
カントが健康だったのは、単に身体が丈夫であっただけでなく、自分の生活習慣に極度に注意していたことによる。それは、哲学者である自分の順調な知的生活には、順調な肉体の働きが不可欠だと知っていたからだ。
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