コロナは、今まで社会の底に潜在化していた問題を一挙に表面化させる力を持っている。そうしてサルベージされた難題は容易に解決するものではない。これに対抗するためには、「もともと社会や文明全体が抱えていた大きな課題に対する、明確なビジョンをもっていることが重要だ」。
しかし、現代の日本は、「今後のビジョンの提示」において米中などに遅れをとりそうな気配がある。今までは、「勤勉さ」という武器で出遅れをカバーしてきたと考えられてきたが、そもそもその見方自体に疑問がある。戦略論における組織の力を「戦闘力(体力面での力)と戦略力(知的な力)の積」と考えると、「勤勉さ」は前者に属する。それだけでは大きな拡大は望めない。とすると、日本は「戦略力」に優れた国だったはずだ。
日本では国難の折に「理数系武士団」とでも呼べる集団が出現し、大きな力を国に与えていたのではなかろうか。かれらが独創的なビジョンで国を先導していたということだ。突出した発想力を持つ島津斉彬や自発的な育成機関となった緒方洪庵の適塾、理系的発想の忠実な伝道者となった坂本龍馬などがその代表例といえる。
現代でも「理数系武士団」は、資金量とスピードに勝る米中などと向き合うための、日本が隠し持つ秘密の武器なのだ。
そもそも現在の世界はどこへ向かっているのだろうか。
現代は、グローバリゼーションを一種の震源として世界が動いているように感じられる。しかしそれはこれまでの世界史でも同様であった。
グローバリゼーションがどこに向かうかのギリギリで戦われた顕著な例が、ナポレオン戦争であった。そしてこの戦争は、第二次世界大戦との類似点が多い。両者はともに、ナポレオン・ボナパルトとヒトラーという強烈な独裁者が中心になっており、これに対し連合軍が対抗した。また、英国から見たときに「海vs陸」という共通の構図を持っており、連合軍の制海権(制空権)に屈して、攻撃の矛先をロシア・ソ連に向け失敗している点も同じだ。ここにはもちろん、地政学的な理由が大きく影響している。
両者には相違点もあった。ナポレオン戦争は、「世界統合と勢力均衡」のどちらを選択するかという、大きな意義を帯びていたのだ。ナポレオンはヨーロッパ全体をフランスの下に統合するという「世界統合型」を目指し、連合軍側の英国は複数の国家がバランスをとりながら並立する「勢力均衡型」を志向した。後者が勝利したというのがその世界史的な意味である。
ここで中国を眺めると、中国は歴史的に、単一の帝国からなる「世界統合型」として成り立っており、ここに欧米との文明的性格の根本的な違いが見えてくる。中国は、「大きな権力の下で管理社会の中の沈滞した精神のようなものに覆われていく」ようだ。
実は、現代のわれわれの世界で進むグローバリゼーションは、中国史の中で起こったのに似た一種の“世界統合”である。そこでは、独裁者や皇帝の代わりに巨大メディアとマーケットの複合体が巨大権力として君臨する。
それでは、ヨーロッパと中国が、「勢力均衡型」と「世界統合型」という全く異なるものに分かれた理由は何なのか。注目したいのは地形的な違いだ。特に海と陸の関係である。
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